テレビゲームが子どもの想像力を奪う

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今日、我が家の三兄弟は、朝から交代でテレビゲーム三昧。子どもは、外で元気に遊べと言っても、この辺(上本町)は子どもの遊ぶ空き地すらない。
三男は良く、大黒町の恵比寿神社まで行って友達と遊んでいるようだが、長男、次男は、もう外で遊ぶ年頃ではなくなった。
私が子どもの頃は、近所の子どもたち、小学生から中学生まで一緒になって外で遊んでいた。高校になると高校の友達が中心になるので地域で遊ぶことは無かった。
私の実家は平松で田川文化センターのすぐ下、当時は、文化センターも警察署も長寿園もなくあの辺りは自然の宝庫、森もあり、ボタ山もあり、ため池もあった。
遊びは、それこそ一年中、外で遊んでいたが、季節と共に遊びも変化するから面白い。四季折々新しい遊びを見つけ出し、皆でルールを決めて遊んでいた。冬場は良くボタ山に凧揚げに行っていたが、凧は手作りで喧嘩ダコ、両脇に剃刀の刃を付けて相手の糸を切るなんて手荒なこともやっていた。
だけど、これは全て遊びの範ちゅう、勝っても負けても恨みっこなし。
ボタ山での遊びのもう一つの楽しみは、焼き芋。芋を買って地熱の有るところを掘って埋めておくと帰り際には、丁度よい焼き具合の石焼芋になっている。
ボタ山は、石炭が自然発火しているのか、熱を帯びているところが結構有った。
その他、ため池で筏を作って浮かべて遊んだり、森の木々の上に住み家(すみか)を作ったり、自然の中での遊びは、想像力をかきたて、頭も体も目一杯使って遊んでいた。
あの頃の毎日の遊びは、とても楽しく、今でも鮮明に覚えている。
学校での出来事より、日々の遊びの方が鮮明に記憶に残っていると言うのは、如何に集中力を働かせて遊んでいたかが伺える。
私が、子どもたちに勉強のことをあまり口説く言えない一因はそこにある。私も暗くなるまで遊んでいた方なのだ。
しかし、今の子どもたちの遊びを見ていると、あまり想像力も体力も使っていないようだ。これでは遊びを通じての学習効果は期待できそうにない。