櫻井英夫: 2005年11月アーカイブ

ルーツが気になる

tomohiro
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自分自身が認識できる世代は親、祖父母、子、孫の前後
3代までで、よほど運がよくても、曽祖父、ひ孫の4代まで。
今を生きるだけでも精一杯なのに、子々孫々のことに思いを致すことなどナンセンスと思われるでしょうが、皇統2600年世界に例のない系譜の存在は日本という国家が確かなものであるとの証でもある。
 中東では、イスラエルとパレスチナが国家の存亡をかけて正にリアルタイムでしのぎを削っている。世界史とは国家存亡の歴史を学ぶことであり、日本という国家を意識することである。この真理、原理を高校時代に世界史の教師がもっと強く訴えていれば世界史という教科の重要性を認識できたかも。まーそれもこれも、17歳当時未熟ゆえに自分自身で認識できず、なんとなく受身で授業をうけていたということである。教師のせいにしてもはじまらない。
 さて、東京諸島の神津島から九州に戻ってきた?さくらい英夫は島に在住当時からルーツが気になっていた。言い伝えでは関が原の合戦で敗れた石田三成の残党が逃げてきて石野田或いは松江と姓を隠し住んだとのこと。証拠は一切存在しないし、本格的にこのことを確かめようとした学者も郷土史家も今のところいないので全く考証されていない。
 神津島の人たちがどこから渡ってきたのか。少なくとも5代以上は島に住んできたであろう私の祖先石野田についていつか考証してみたいと思っているが、昨日剣道の合宿で佐賀の武雄に行ったときのこと。60ぐらいのおばさんが「この柿カラスが食べんろうか」鹿児島ナンバーの車の一行のイントネーションを耳にした時言葉の響きが驚くほど神津島弁に似ているのだ。宮崎県に石野田という地区がある。島の菩提寺濤響寺の建物の一部に隠れキリシタンを暗示させる彫刻が確認されたようだが、キリシタンの伝播は九州からであり、石野田一統が神津島に入植する際、キリシタンを持ち込みその後に濤響寺が入ってきたのではないか。
 そもそも人間の営みは偶然と必然が入り混じっている。いろいろな事象を必然と捉える考え方は宗教的であろうが、理性を持った動物
人間ならではの価値観の世界である。これからなぜ私が数世代を経て九州に舞い戻ってきたのか、そのルーツを探ってみたいと考えている。
 温故知新は政治家としても必須の感性、感覚だろう。
              平成17年11月28日


               元東京都神津島村課長補佐
               前川崎町町議会議員
                         さくらい英夫

今月後藤寺商店街に道の駅がオープンしました。
旧福岡シティ銀行前の空き店舗を商店街振興組合が借り受けて田川の特産品を販売しています。
隣には休憩室もあって、ソファーが置かれています。とりあえずただの殺風景なスペースですが、シンガーソングライター「さくらい英夫」のオリジナルソング歌集を掲示しています。是非お立ち寄りください。また、この歌を是非聴いてみたいとお思いの方は隣の二村ビルの 2 階の英光学院に本人がおりますので、声をかけてみてください。
気軽に歌って聴かせてくれますよ。
 本人の弁
そもそも田川の古くからの民謡、童謡を歌いたくていろいろな方に尋ねてみましたが中々見つかりませんでした。それなら人に頼らんで、自分で作っていこうと思い立ち、今ではご当地ソングが10曲以上出来ました。自己満足なものばかりですが、ふるさと田川の歌として、各所で公演しています。

歌を作ろう

tomohiro
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歌の世界は芸術に入るのかどうか思うときがある。
芸能と芸術その違いは何か。
芸能とは芸術より位が低いのかどうか。
芸術性の高低によって芸能と芸術の境が生じてくるのか。それとも営利を追求するのが芸能で、技術や創造性を追求していくのが芸術家か。
シンガーソングライターは芸術家か、芸能家か。
 誰でもできそうで以外に少ないのがシンガーソングライター。昭和30年代から40年代はシンガーソングライター全盛時代。猫も杓子もギターを抱え、一定のコード進行を覚えて思いつくままに歌詞を当て込む。受験生ブルース、山谷ブルース、ヨイトマケの歌などなど、よく歌われていた。
 このごろ岡林信康のポスターを見かけた。山谷ブルースを歌うらしい。社会風刺の歌だが今どれほど理解されるであろうか。
 今のシンガーソングライターは何をテーマに歌っていけばよいのか。否、シンガーソングライターにかかわらず、今どんな歌が世間から求められているのか。歌は人類とともに常にあるとすれば、その時代時代に求められるものがあるはずだ。
 私、さくらい英夫は音楽業界の外で、たとえば現代民謡あるいはフォークを追求している。
昨日できた最新曲 
筑豊の花
      意地がなければ生きられぬ
      忘れ形見を胸に抱き 
      流れる英彦の岸を行く
      石楠花萌える岩石の
      意地を下さい筑豊の花よ 
    
      夢を探して女手ひとつ  
      背負うこの子がいとおしい
      誰に明かそうこの思い
      コスモス揺れる福智山
      夢を下さい筑豊の花よ

      咲かせた時から散るのは定め 
      人生無常の裏表
      知ってしまった女なら 
      無理を承知の香春岳
      咲いて下さい筑豊の花よ

筑豊田川のご当地ソング作りをコンセプトにいろいろな歌を作っています。
私もそのくらい作れるバイ。昔作ったのがあるバイ。という方はご連絡ください。

  連絡先 090-2969-4655
       0947-46-3967 
     シンガーソングライター さくらい英夫まで

田川のマルチタレント「さくらい英夫」さんは塾生の勉強指導、音楽活動、ボランティア活動と大忙し。シンガーソングライターの実績は30年。これまで趣味の範疇として控えめに活動してきましたが、町おこしの足しにでもなればと活動を活発化させています。 
 東京諸島神津島出身の彼がどんなメロディを奏でるか、詩を書いているか興味のある方はどんどんアクセスしてください。
皆様の催しにアクセントをつけたい方は出前コンサートに出かけていきます。これまで200回以上の公演実績を数えます。
有料、無料皆さんの状況に応じ対応しています。
また、これから和楽器を練習してみたい方には先生をご紹介します。
 音楽で人生楽しく。

 電話番号
 090-2969-4655
 0947-46-3967
 田川市本町8-8 個別指導英光学院内

私の第二の故郷、田川。
こよなく愛する田川。
遠く、神津島からやって来た私を、快く受け入れてくれた田川。
ふるさと田川のために、みなさまと共に頑張ります!

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