櫻井英夫: 2006年1月アーカイブ

来る2月4日 (土)午後5時から川崎町田原のまほろばの館で新春の集いとあわせてタムボの会の発会式を計画しています。
現在約20名の方々が、会員になってくれております。これから、多くの会員を募り、ともに音楽ボランティア活動を行いながら、交流を深めていこうと思っています。
 田川の方々は土地柄か、人見知りの方が多いようです。
開かれた地域にするには、人々がまず社交的でなくてはなりません。知らない人でも初対面の人でも声掛け合って、親しくなれるそんな社交性を養う必要があります。
 今回は関係者だけの会ですが、これからは一般にも呼びかけ、どなたでも参加できる音楽交流会を計画していく予定です。
 全国の皆さん是非田川に来てください。さくらい英夫と語り、歌いませんか。
  また、さくらい英夫は現役の剣道5段でもあります。いつで゛も挑戦を受ける用意があります。歌バトル、剣道バトルなんでもどうぞ。


         シンガーソングライター
             さくらい英夫

1/29日に大宰府の生長の家の研修アトラクションに招かれて、田川のご当地ソングを約350人の会員の前で歌ってきました。
私、さくらいだけではもったいないので、尺八の久保誠三郎さん、サックスの久保正さんにも友情出演を要請し、さらに作詞家の丸山光淋さんにも同行願い、田川の宣伝をしてまいりました。
 1曲目は 筑豊の花
 2曲目は  いつかまほろば
食事の合間とはいえ、静粛にしっかりお聴きいただき、気分は最高でした。20分の公演時間がまるで2、3分のようでした。
 こんな大きな場所で演奏できたのも、私の歌曲の確かさではないかと自画自賛しています。
 これがカラオケだったり、すでに流行している人の曲をコピーするのであれば中々認められないと思います。
 私のオリジナリティの中の何かを認めてくれたのではないかと思料しています。
 公演は10分であれ3時間であれ一日がかりです。時間が短ければ、短いほど気合の入った、心のこもった記憶に残るステージにしなければといつも必死です。
 有料、無料ご相談に応じながら、歌のボランティアをこれからも続けて生きます。
     
      シンガーソングライター
         さくらい英夫

田川必見の景色

tomohiro
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昨日、香春総合スポーツ公園の方位板除幕式、寄贈式で一曲披露するようリクエストされて出かけてきました。
 寄贈されたのは香春町の鶴我さん(詳しくは今日の西日本新聞をご覧下さい)で、元警察官の方です。
 私に白羽の矢が立ったのは、風治八幡神社の門松奉納式の時アトラクションで歌った、田川燦燦とが歌詞が良いとのことで気に入っていただき、今回の寄贈式でもやれとなったしだい。
 初めて訪れたスポーツ公園の大展望台。そこから見えるのは香春岳、セメント工場、ボタ山、旧炭鉱住宅と、日本が発展を遂げる事となった原風景が一望できる。
 ここは、決して自然の絶景ではない。むしろ人間の営みの悲哀というか、哀愁と言うか色々な想いが去来する人工の景色なのである。この景色を見れば、わが国の発展が田川の鉱業に支えられてきたことを実感する。
 全国の多くの人に是非見てもらうべきだと思う。
私は、この景色の中で田川燦燦とを香春岳に届けとばかりに歌った。
  香春一の岳 泣きなんな
  削って砕いた白い石
  生まれ変わって日本のビルに
  されど今じゃ不況の嵐
  セメント工場の煙突煙
  貨物列車も消えました
 さて何度も繰り返されるホりエモン騒動
時代の寵児から犯罪容疑者への転落
手のひら返すマスコミ
同様にエネルギー政策の転換は、時代の趨勢か手のひら返しか世の無常か。
いずれにしても 百聞は一見にしかず。是非是非お出かけを。

     シンガーソングライター 
       さくらい英夫

ものすごく硬いタイトル、内容で恐縮です。
童謡、唱歌は実によく考えて仕組まれています。
作詞者は教養豊な文化人ばかり、かつキャッチコピーは心に残りやすい。三つ子の魂百まで。大人になったとき、生活に生かせるるそんなフレーズがふんだんに盛り込まれています。今となっては古臭い言葉でも、教訓やら情緒の源になる素晴らしい言葉がちりばめられています。
 一方、曲、メロディも大衆歌謡の無いころの作曲家ですので、特定の世代に媚びて作曲をしている方々ではないので、とても素直で耳障りの良い、心の癒されるメロディが多いです。一曲の中に出てくるコードは3個くらいでとても単純です。あたかも曲は言葉を伝えるための脇役的存在です。
 曲に乗せて、短い言葉で日本の生活文化、情緒を伝えています。また、外国民謡では先進諸国の代表的歌曲が選択され、
その曲を歌うとその国の雰囲気がなんとなく伝わってきます。
 それらの教育的価値の高い童謡、唱歌が今学校で圧倒的に歌われなくなっています。いわんや家庭をやです。テレビ、ラジオのせいで童謡、唱歌が忘れ去られていく、存在感をなくしいく、そんな気がしますが、せめて学校では復活させたいものです。
 メロディに乗せて言葉を覚える。国語と音楽はほぼ一体の教育効果をもたらします。

 外国語を覚えるのもメロディをつけると覚えやすいものです。
 学校現場で、家庭で童謡、唱歌が復活するようシンガーソングライターとして活動していきたいと思います。
 そのことが教育力の向上につながると固く信じております。

      シンガーソングライター
        さくらい英夫

きょうの西日本新聞新聞にこのことが告知されておりました。
田川にやってきて10年。田川での生活経験不足の私は、知識も体験も少ないことを悔しく思いますが、致し方ありません。
生え抜きの筑豊田川人の3倍のスピードで筑豊田川の事象に関わっていかないと追いつかないと思っています。
 田川のご当地ソングを10曲以上作ってきましたが、作詞は地元の人にかないません。自分でも田川の情緒を文にしたいと思しますが、何かにせもの、よそ者的で納得いきません。暫くは、生え抜きの方々に依存して行こうと思いますが、いつか.は..
 それにしても、歌で町おこしをやっている私としては、福岡市内で筑豊、田川が文化的な話題として取り上げられることにうれしさを覚えます。それで是非行ってみようと思います。
 かつて、中央区で某県会議員の秘書をやっていた時、田川から通っていた私は、県議や後援会の方々から軽蔑、偏見の目で見られていました。ものすごい憤りを感じたことを覚えています。
 この偏見の払拭こそが、私の活動の最大のテーマとなりました。
 さて、映画会は
  1月28日土曜日。午前午後と2回上映されます。
 詳しくは西日本新聞をご覧下さい。 
   
        シンガーソングライター
           さくらい英夫

赤村の源じい温泉では、ほぼ毎月温泉利用客のために音楽、芸能公演を行っています。今回は私のオンステージを企画していただきました。
 プロデューサーはMI企画代表の久保誠三郎氏。氏はまた、現代尺八の演奏家でもあります。
 期日は    3月18日土曜日12時ごろから1時間程度
 入場料は   入館料の500円のみ
 内容は   1部 邦楽演奏
        2部 さくらい英夫弾き語り 
           田川のオリジナルご当地ソングを歌う
           曲名 田川燦燦と 
               筑豊の花
               いつかまほろば
               ふるさと田川賛歌
               平成川崎音頭 など
 特別ゲスト 在日韓国人 シンガーソングライター
                 李陽雨さん  
                氏のアカペラで歌うヨイトマケの歌は 
               定評があります。  
 日韓の艱難辛苦を生きてきたシンガーソングライターの弾き語り競演は如何ですか。二人の生き様と歌声に感動間違いなしですよ。
  

         シンガーソングライター  
           さくらい英夫

ついに来たって感じですね。
胡散臭い、経済通の若手集団。
人殺しこそしませんでしたが、ホリさんはマスコミをテレビを新聞をパソコン通信で殺していく、駆逐するんだと豪語してましたね。 
そんな強気の人、皆さん過去にご存知でしょう。
そう、オームの浅原こと松本チズオやらジョーユーです。
 荒唐無稽な妄想集団です。 
この両者はものすごく似ていますよね。
最初はマスコミが異常なくらいチヤホヤし映像を世間に垂れ流す。そして、善から初めて悪で終わらせる。信者が増えたのも、株価が上がったのもマスコミの力です。ちなみに性質は全く違いますが、自民党が異常な勝ち方をしたのもマスコミ力です。
 ライブドア、ドラえもんのどこでもドア、何デモ出せる魔法のポケット、そんなイメージらしいが、文字配列を変えるとドブアライ。
 私なんぞは日ごろからドブイタ政治です。
ホリさん、この際ドブ掃除してきれいにしてから出直してん。
 それにしても、このごろは評論ニュース番組はあれど社会を風刺する人が登場しませんね。漫才でも。バラエティでも。何か原因があるのでしょうか。
 しょっちゅうテレビに出る2流のお笑いタレントさん
 まちゃまちゃ 長井 ひろし などなど
馬鹿らしいネタをするくらいなら世の中をドンドン風刺して社会に警鐘を鳴らしてくださいよ。
 まーそのためには、新聞を右から左まで読んで、自分自身もしっかりした教養とポリシーを持ってないとね。
 私の分野の歌手たちもだらしないね。 
 愛の歌ばっかりでなくて、昔のフォークのように社会風刺をやりましょうよ。この際。

          シンガーソングライター 
            さくらい英夫

l良書のご紹介

tomohiro
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図書名 国家の品格
画期的日本論
著者はお茶の水女子大学の数学者藤原正彦先生。
 数学は定理、理論、公式の以前の問題として情緒や感性が大切だと説いています。
 実は街づくり、国づくりも同様で財政や計画の前に情緒や感性が大切で、この情緒は知識と違って1代限りの代物で遺伝したり、継承されたりするものではない。 
 したがって、この情緒や感性を研ぎ澄ますために、個人個人で心がけてけていく必要があります。
 詳しくは、本を読んでみてください。
 新潮社から680円、(191)で出ています。すでにかなり売れており、書店に行けば話題の本コーナーに置いています。
 講演内容を加筆,修正しており大変読みやすい本です。
   
           シンガーソングライター
               さくらい英夫

1月1日に発足し、現在会員を募集しています。
 これまで、シンガーソングライターさくらい英夫が個人的に公演などこなしてきましたが、時間的、資金的、人的どれをとっても手薄となり、このたび活動に賛同し支えてくれる方々を募集することになりました。
 趣旨は、歌、音楽でまちづくりです。
 県の街づくり団体にも登録する予定です。
 年会費 2000円のみです。
 自腹の活動はほとんどギャラなし、少ししんどいかなって思い組織作りを思い立ちました。
 詳しいことは さくらい英夫まで
       090-2969-4655

石野田akoさんから、私の「ルーツが気になる」を読んで頂きコメントを寄せてもらいました。1月5日付けのコメントでした。
そこには、その方が宮崎西都の出身らしいことがかかれておりました。これは重大なコメントです。私の仮説は昔島にいたころも今の今までも聞いたことが無いからです。神津島のルーツは、古文書が無いため全くわかりません。聞くところによると、全村を焼き尽くす火災が2度、3度あったそうで、古文書の類はすべて焼きだされたといわれています。石野田の血統はどういうわけか、頭が良いのです。学問の理解力が高いのです。
 ざっと田川の電話帳を見渡しましたが、石野田姓は只の一軒も存在しません。平凡な苗字ですが、どうしてでしょうか。石田はごろごろいる。中に野の字が入っただけで皆無になると言うことはいつの時代かに何かの原因で突然作られたと創造できます。
島には、石田三成一統の隠れ姓の伝説があります。長野県の佐久市には神津姓が集中していますが、神津島に隠れ住んだ武士が本土に帰った時、神津を隠れ姓にしたとの話も伝わっています。これは早速宮崎の石野田地区を訪ねて見る必要があります。
 akoさん子の投稿気がつきましたら、連絡を教えてください。
   
     さすらいのシンガーソングラタイー
        さくらい英夫 元神津島役場課長補佐

1/15日、田川文化センターで往年のアイドル本田るつ子さん、筑豊のご夫婦デュオのハルさんと同じステージで歌わせていただきました。1200人入る文化センター、超満員とは行きませんでしたが、ざっと300人のお客様の前でご当地ソングを3曲、サックスの久保正さんにも伴奏は入ってらって歌わせていただきました。

 1 筑豊の花........山辺施設長にささげる歌
 2 田川燦燦と.....会場にお越しいただいたお客様にささげる歌
 3 いつかまほろば...ほのぼのの仲間たちのためにささげる歌

歌い終わった後、プロのお二人からお褒めの言葉を頂き、素直に喜びました。他人の既存の歌謡曲などでなく、私のオリジナルご当地ソングだったので評価いただいたものと思います。
これからも色々な場所で歌を通じて田川をアッピールしていきたいと思います。
 ボランティアでどこまでも参りますのでお声かけ下さい。
 小規模通所作業所ほのぼのの家
. 苦節10年頑張りましたね。
                シンガーソングライター
                   さくらい英夫

私だけー

tomohiro
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1流ともつかないお笑い芸人が今受けている。なんといってもテレビ力。それもNHKの力である。あの冬ソナももともとはNHKがスポットを当てたドラマで、地元韓国以上にブームを巻き起こしてしまった。マスコミの影響力は絶大で、現代の価値観、価値基準はマスコミが作り出していると言えないだろうか。
 新聞、テレビを見ていると登場するのは事件事故、都市部の良い出来事、そして記者に縁故があれば田舎の目立たぬ良い話題が少々紹介されましょうか。
まー田舎の話題は公共性に欠けるし、大衆が関心持たないので記事として値打ちが無いと判断されるのはしかたありませんが、マスコミが何に注目してくれるかで、その価値観とステージがグーと上がってくる。
 このたび田川市が花と緑のまち新田川創生プランの構想をパンフレットにしてアッピールしていくと言う記事が新聞に載っていた。
伊藤さんの想いが徐々に現実化していくなと感じたが、実はそこに1字加わるとキャッチコピーの響きがそして、ムードが格段にあがるのです。その1字とはそのとおり「歌」ですね。花と緑と歌の町、田川なんです。西日本新聞が今ご当地ソングを特集しています。
チンドン屋の安達ひでやさんがおっしゃるとおり、福岡にはご当地ソングが無い。同感です。田川もまたしかり。誰に聞いても、たずねても炭鉱節ぐらい。これは絶対おかしい。あれこれ探そうとしたが、途中で考え方を変えた。私もシンガーソングライターの端くれなら僭越ながら自分でご当地ソングを作ろう。しかし、田川に移住して10年くらいの人間には土地勘が無く迫真迫る詩が書けない。地元の方々に協力してもらいながらいくつか出来てきた。
しかし、それも自分ひとりで歌っていても広まらない。
数多くの演奏会で歌って紹介していきたいと思っています。
皆さん是非応援お願いいたします。
 これまで作ってきた田川縁の曲は
1 田川燦燦と.............作詞 竹崎昇造 88歳
2 いつかまほろば........作詞 丸山光久夫妻
3 輝く明日.................作詞 平井義博、信義父子
4 愛の星希望の星....作詞 瓜生静江
5 命の花彼岸花........作詞作曲 櫻井英夫
6 あなたへのメール.....作詞 津原秀明
7 ふるさと田川賛歌...作詞 宇都宮睦子
8 男辰熊.................作詞 櫻井英夫
9 ひこのひんがら.........作詞 熊谷さん85歳
10筑豊の花..............作詞 丸山光久
これらのオリジナル曲を一年後にCD第2弾として世に出したいと思っています。その節は「いつかまほろば」同様よろしくお願いいたします。
 それこそ2流ともつかないシンガーソングライターさくらい英夫ですが、世の中のため、田川のために何か役に立てれば幸いです。

    シンガーソングライター
      さくらい英夫
 PS 今日新聞で紹介の門司の歌う果物屋山形さんは私のメールトモかな。

年末、後藤寺商店街の魚屋のおばさんから呼び止められ、自分の書いたこんな詩があるんだけど.......と見せられた。
 見ると広告の裏紙に平成5年と書いて1番と2番の歌詞が走り書きしてあった。曲をつけてとは言わなかったが、当然そうだろうと思い、年末年始メロディを考え抜いた。私の歌は即興で譜面が無い。書かない、書けない、読まない、読めない、そういう類の作曲家なのでたかが知れているが、実は昔はそんなフォークシンガーはごろごろいた。失礼ながらかの井上陽水さんもそんな人では無かったでしょうか。しかし、 私は曲を作ると思い立った以上、あきらめることは出来ない。したがって詩が先行していれば必ず何らかの曲が生まれる。
 今回はいかにもフォークソング風に仕上がった。それにしても、13年間も後生大事にしていた魚屋のおばさんには感心した。
おばさんの書いた昔の文章でも何らかの価値を生み出す。
いわんや、由緒ある歴史的資料をや。
あおぎりの女将が投稿した青春の門の監督さんの走り書き、結構お値打ちもんかも知れませんよ。
私が加筆した魚屋のおばさんの歌詞は以下のとおりです。

 1 ここは田川バイ 住みよか街バイ
  川筋気質のお人よし 
  さびしい時は声掛け合って
  1人10人100、1000、10000人
  明るい声がこだまする
  雨が上がった青空に
  まぶしい大きな虹の橋
  いつでも元気な明るい田川
  いつでも元気な僕のふるさと

2 ここは田川バイ 自慢の街バイ
  英彦の鬼杉 上野の大滝
  香春神宮 梅の華清し
  岩石山から英彦山川みれば
  大任しじみが音頭とる
  八つの街が輪になって
  踊ろう世界の炭坑節
  明日も元気な明るい田川
  明日も元気な僕のふるさと

いかにも明るい歌詞でしたので、明るく朗らかになメロディを考えました。
 田川の応援歌としてこれからコンサートでどんどん歌っていきます。お聴きになりたい方は生演奏に伺いますのでご連絡を。 もちろんボランティアですよ。
 ミュージックセンターキムラらしい話題かな.....自画自賛
   
            シンガーソングライター   
                さくらい英夫

私の父は、私が高校1年の夏、15歳の時に43歳で亡くなった。あと1日で16歳の誕生日でした。葬儀の日が誕生日。こんな偶然があるものでしょうか。1/365の確率です。親父はどうせ 死ぬならその日をきめていたのでしょ うか。約5年間の闘病で最期は骨と皮になっていました。親は無くとも子は育つ。私は15歳から世帯主です。酒は 13から親父と飲んでいました。 ませて、ひねくれて、貧乏な私には成人式は何の感動も喜びもありませんでした。
 ただ2つ忘れられないのは、私の父と歳の変わらぬ私の従兄が成人式に臨むスーツを買ってくれたこと。このごろまで、体形の変わらなかった私は、そのスーツを30年近く着ていました。
 学問を続けるか、社会にでるか中途半端な貧乏暮らし、金の無い青春時代に初めて買ってもらったスーツの恩が忘れられず、そのご恩をいつか返そうと思っていたら、その従兄も52の若さで突然親父のところに逝ってしまった。 
 成人式の夜、おじに呼ばれて初めてウイスキーを飲まされた。気がついたらボトル2本が空いていた。13からの酒飲みトレーニングで一人前の酒飲みになっていた。そのおじも50で親父のところに逝ってしまった。その私が50になった。
 私の歌に命の歌が多いのはそのためです。
 今日は新曲ができました。
    
          シンガーソングライター
             さくらい英夫

昨年末、年末の休暇で温泉旅行していた御一家4人が火山ガスで無くなった。毒ガスは秒殺の恐ろしく危険な代物です。
私も一酸化炭素ガスで九死に一生を得たものとしてその恐ろしさを体験しています。とにかく対応の仕様が無く、まさに一刻を争う処置が必要です。
 消防の詰め所で夜警をしていた時、炭で暖をとっていた。窓を開け、換気扇を回し空気を入れ替えていたが、ガスをすったせいで寒気を感じ、窓を閉め換気扇を止めてしまった。寒かったのは換気のせいでなく、ガスを吸ったためだったが、そのことに想いがいたらなかった。
 一酸化炭素を吸うとどうなるか。
   寒気がする
   頭痛がする
   気が遠くなる
   意識が無くなる
意識が無くなったら自分ではどうしようもできなくなる。
意識がなくなると呼吸が止まる
呼吸が止まると心臓が止まる
とっさの処置としてどうしたかと言うと
 窓を開放、できるだけ深呼吸、酸素吸入
一番重傷者は呼吸停止に至った、その際マウスツーマウスで人工呼吸、自発呼吸に戻った段階で酸素吸入。
 しかし、酸素を常に携帯しているはずも無く
われわれの場合、たまたま隣が医療機関でそこに酸素があったから助かった。だだ運が良かった、寿命があったと言うことだった。
 今回の事故について旅館、行政の責任が云々されているが
日ごろから酸欠やガスに対して危機意識を持つ必要がある。
閉所、穴など異臭、息苦しさを感じたら息を止めて退所するようにしたい。誰でも30秒くらいは息を止められる。酸欠やガス発生の場所はまさに盲点。恐ろしいです。
 行政は、広報などを通じて危機管理の特集を組むべきです。
田川や川崎町などの防災計画大丈夫でしょうか。マスコミから指摘されて改めて硫化水素など意識するのでなく、川崎のボタ山が燃えたときもそうでしたが後手後手に回ったらいけません。
行政の防災担当は、色々な事件を想定して危機管理に努めててもらいたいものです。
             前川崎町議会議員 
             神津島村消防団員
                 さくらい英夫

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