tomohiro: 2005年12月アーカイブ

横綱朝青龍の涙

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一年6場所全部優勝という相撲界初の大記録を打ち立てた蒙古の怪物横綱朝青龍。
今日の特集で、地元力士魁皇に勝ったときの涙の訳を語っていた。館内に沸き起こる大魁皇コール、満身創痍の魁皇、地元福岡出身の身、圧倒的多数が魁皇に勝ってもらいたいと願うその雰囲気を感じながら、インタビューではあえて会場にたった一人の人が自分朝青龍青に声援を送ってくれていると感じた、と言う。
たった一人とは誇張と思うがおそらく悔しかったに違いない。外人力士、そして圧倒的強さが日本人の嫉みを買う。彼は、そのことを十分自覚しながら孤独に耐え、悪役を演じなければならない境遇を甘受する覚悟を決めていた。が、あの魁皇コールでそこまでしなくてもいいじゃないかと思ったに違いない。強過ぎるが故に冷たい、薄情、横柄、威張っていると陰口をたたかれる。
かつての北の海を例に出して、圧倒的な強さで一匹狼を貫きたいと宣言していた。相撲の美学、勝負の美学をそこに見る想いがした。あの涙は嬉し涙だけでは説明できない。朝青龍自身もわからないと思う。それだけに自然な涙だったように思う。
 私も、東京から土地勘の無い田川に移住し、地元の人さえ尻込みする田川の政治に足を踏み入れ、熱心に政策課題に取り組めば取り組むほど嫉まれる、挙句の果てに選挙妨害され2期目の落選。地元の壁の厚さ、朝青龍が感じたであろうよそ者の悲哀を私もまた感じている。
 田川の政治に新風を吹き込むとき、波風がおきる。今角界に朝青龍がいなかったらどうなっていたか、日本人だけの力士だったらどうなっていたか。相撲人気は失われおそらく廃れるだけでしょう。相撲と言う一つの文化とエンターテイメントが消失してしまっている。朝青龍の活躍は彼個人の功績にとどまらない。相撲文化の救世主として偉大な存在といえないか。
 朝青龍の根性を見習って次の選挙に臨みます。
どうぞご支援ください。
  次の統一地方選挙は19年4月です。
       平成17年12月31日 

                 前川崎町議会議員
                    さくらい英夫

先日ご紹介した i(アイ) の詳細がわかりました。

グレードは「G」「M」「S」の3タイプ、すべてターボ

エンジンの4速オートマチック車です。

2WDと4WDの二つの仕様があります。

カラーは「白」「赤」「黒」「青」「シルバー」「グレー」

「ブラウン」「黄」の8色から選べます。

価格帯は2WDで 1,220,000円〜1,420,000円。

              (税抜車両本体価格)

エンジンのリヤミッドシップレイアウトから生まれた

ロングホイルベース・大径タイヤ採用で走行安定性。

たっぷりとしたクラッシャブルゾーンによる衝突安全性。

今までになかった三菱の気合の入った?「新しい軽」

は私たちにどんなカーライフを演出してくれるのでしょう?


kawaraconcert.jpg 添田町オークホール、田川市美術館、方城町地域交流センターとシリーズ公演を続けてきた、ピアニストの永田郁代さんが、今度は香春町で初のコンサートをプロデュースした。 その名も「香 春一番(か はるいちばん) ヴァレンタインコンサート」。 出演者の顔ぶれも凄い、ヴァイオリニストは東京交響楽団コンサートマスターの「大谷康子」氏、チェリストはNHK交響楽団チェロ首席奏者の「木越 洋」氏、そして伴奏は、永田氏だ。 大谷康子氏は、幾度と田川でコンサートをしてくれているのでおなじみの方も多いと思う。いつも遠方より沢山のファンが訪れる。
詳細は
日時:平成18年2月14日 開場18:30 開演19:00
会場:香春町町民センター
入場料:大人1,500円 子ども500円
主催:香春町・香春町教育委員会
協賛:田川ろーおん
問い合わせ:香春町教育委員会生涯学習課 ℡0947-32-8410
一流アーティストのコンサートで、この入場料は、香春町が負担をしているためだ。

田川ろーおん会員は年会費に含まれているため、当日チケット引換券と交換でチケットを貰える。但し、1月14日までに参加の意思を電話で伝える必要が有る。

今日、友人が訪問してくれたときに、お土産に持ってきてくれたロールケーキ。
今まで食べたことがない美味しいロールケーキだった。
こんなに美味しいと分かっていれば写真を撮っておくのだったが、既に家族の胃の中に納まっていた。
どこが違うかと言うと、中のクリームだ。
生クリームに、おそらくカスタードクリームを混ぜ合わせているのだろうと思うが、シュウクリームの生クリーム系ようなクリームを思い浮かべてもらえばいい。
とにかく、百聞は一食に如かず、一度食べてみることをお勧めする。

お店の名前は、「おかしのリジェール」。
住所:福岡県京都郡勝山町山野黒田871-1恵ビル1F
電話:0930-32-6100
ホームページもある http://www.citydo.com/prf/fukuoka/guide/sg/510000170.html

毎月1回第一日曜日に行われている座禅の会。
場 所 糒月の輪園裏の宝光寺本堂。
時 刻 午前6時開始 7時終了
参加費 無料
新年は1月8日の第2日曜日

今年の一大事件と言えば、なんと言っても福岡西部沖地震と衆院解散総選挙です。
衆院総選挙で福岡11区は、武田良太氏と山本幸三氏の激戦の末、その差449票差と言う僅差で武田氏に軍配が上がった。しかし、激戦のお陰で比例区第1位で山本氏が当選し、結果として11区からは二人の国会議員を選出することになった。
山本氏の応援演説には、小泉首相が、歴代総理大臣では初の田川入りをし、市内中の交通が麻痺するくらいの人手で溢れかえった。
自民党の圧勝の中で生まれたのが、小泉チルドレンと言われる新人の先生方。
その中でも異色の議員として注目されたのが、比例区南関東ブロックの杉村太蔵氏。
本人も当選するとは思ってなかったし、父親も受かるわけないと思って寝たが、翌朝起きてビックリ仰天したと言う棚ボタ先生だ。
何かとマスコミを賑わせてくれた杉村氏だが、政治を分かりやすく語ったり、若い世代に政治への関心を持たせたと言う点では、りっぱに勤めを果たしている。
その杉村氏のブログを見つけたのでアクセスしてみてください。
http://sugimurataizo.net/
「自分に出来る使命は何か?」「国民の為に何が出来るのか?」、氏ならでは感覚で語ってくれています。
また携帯メールアドレスも公開して、意見交換や悩み相談もしています。メールを送って見たい方は、docomoのメールアドレスが掲載されていますの記事を注意深く読んでみてください。

母の闘病日誌(8)に続く
精密検査の結果がでた。
やはり肺の影は、癌の可能性があるが、まだ小さく悪性にはなっていないので、このまま定期的に進行状況を見ることになった。
しかし、その時の検査で、甲状腺にも影があることが判明した。
次に甲状腺の精密検査を受けることになった。

8月になって甲状腺の検査を受け、2週間後に結果を聞きにいった。
相変わらず患者さんが多く、予約をして結果を聞くためにも1時間半から2時間は待たされる。

結果は、肺と同じく悪性にはなっていないのでこのまま進行状況を定期的に見ると言うものだった。

母は、手術をすれば声を失うのではないかと気がきではなかったようだ。
手術の必要はないと聞いて一安心したが、肺と甲状腺の二つの爆弾を抱えていることには違いない。

母の体質は、癌が出来やすい体質のようだ。

この間、膀胱癌の手術跡も1ヶ月に1度、定期的な尿検査と内視鏡の検診を受けている。9月に入り、B病院で内視鏡検査を行った。
すると、恐れていたことが起こった。膀胱の内壁にアヅキ大の癌が再発していると言うのだ。
早速、T医師の薦めで再び膀胱癌手術をすることにした。
手術は1ヵ月後の予定だ。

10月に入り手術の予定であったが、医師の都合により、更に1ヶ月延ばし、11月29日が手術の日となった。
この1年半の間に4度目の手術だ。
今回の手術は、前に一度やった手術でもあり、今回は癌も小さいと言うことで、母も心配が無いらし。

そして、いよいよ手術の日。
今回は部分麻酔だから、意識もはっきり有る。
母は、いつものように手術台に乗って手術室へと運ばれていく。不安な様子はない。
そして手術が始まり、2時間が経過した。
無事、母の手術は、今回も成功した。

今後も、母は癌と闘い続けなければならない。
74歳の母は、出来るだけ延命が出来るように、巧く癌と付き合って行かなければならないと言った方が正解かもしれない。
世の中、スポット的に癌だけをを抑える医療技術や治療器具が臨床されている。
癌の進行を抗癌剤の投与なしで止められる日も、そんなに遠くは無いような気がする。

外科手術なしで癌を無くせる、そんな日が早く来てほしいものだ。

あるフォーラムで、ドラえもんの最終話「のび太君、宿題終わったかい!?」を紹介してもらった。
とても良く出来ているストーリーで感動した。
もちろん原作ではなく、ある同人誌が作成したものらしい。
この同人誌も作者(富士子富士夫氏)に許可を取って作成したものではないらしく、またこの同人誌をWeb上に紹介した方も、その同人誌に許可を取ってないそうだ。Web上で著作権について色々とやりあってるようだ。
私個人的には、こんな素晴らしいストーリーを紹介してもらって嬉しいのだが、今は亡き富士子関係者や権利を所有している方、ファンの方等は複雑な心境かもしれない。
直接の同人誌へのリンクは避け、同人誌を紹介したブログのURLを紹介するので、興味のある方は、そちらで探してみてください。
URLは、http://sqare.cscblog.jp/ です。

田川でお勧めの焼肉店と言えば「平松苑」。本場、韓国焼肉が食べられる店として通には有名。
最近も「トンちゃんマップ」を田川市の若手職員グループが作成したって新聞記事に掲載されてた店がここの店。
ここでの一番のお勧めは、なんと言っても"塩タン”。
しかし、BSE問題以来、良い塩タンが仕入れられなくなったということで、しばらくメニューから消えていた。かわりにブタタンが出ていたが、やはり牛タンには敵わない。
だが、久しぶりに行ってみると、なんと塩タン復活。
タンを炭火でさっとアブってレモン汁で食べるのが最高に美味い。
あとここのお勧めは、上ローストとバラ肉。
上ロースは、ステーキ肉と間違えるような厚みのある軟らかい上質肉を出してくれる。
最初は、上塩タンと上ロースで肉の旨みを存分に味わう。ロースやカルビはサンチュにコチュジャンを付け包んで食べるのもお忘れなく。あとは安くてタレにたっぷり漬け込まれたバラ肉を白ご飯と一緒に食べお腹を満たすのが、いつもの私の定番。
石焼ビビンバも美味いですよ。
場所は、後藤寺駅前の一方通行を平松方向に進入するとガードを潜って100メートル先ほど右側にあるので直ぐに分かる。
駐車スペースが数台分しか無いのが難点。

MK.jpg今日は、久しぶりに中間のMKレストランに食事に行った。ここのレストランは、チェーン店展開しているようで、博多のアクロス地下他九州各地にある。タイに行ったときも見かけた。
ここは、しゃぶしゃぶがメインに飲茶や麺類が全て食べ放題でドリンクとデザートがついて、おとな¥1680、小学生¥780と、とてもリーズナブル。更に海鮮が追加になる上のコースもある。
ランチタイムは更にお得なメニューもあるようだ。
こどもに腹いっぱい食べさせるにはもってこい。
今日久しぶりに行ってみて、牛肉がやわらかくて美味くなっているので、追加して牛肉を頼んだら、やっぱり元の筋がある硬い牛肉。
「あれ?最初だけ?」
でも、がっかりすることはない。ここは豚肉の方が美味い。我が家はもっぱら豚肉をお変わりする。
かなえは飲茶が好きで、水餃子やシュウマイ、春巻き、ニラ包揚、等をよくもそんなに揚げ物が入るねと思うくらいに食べる。
坦坦麺やワンタン麺も美味い。
以前のメニューには、ソフトドリンクとデザートの食べ放題まで有ったのだが、今はドリンク&デザートは、1品だけになったので残念だ。
かなえ、「明日の朝食抜きだからね。しっかり食べてよ!」
言われなくてもベルト緩めて食べていますよ!
MKレストランのホームページで場所は確認して下さい。

母の闘病日誌(7)の続き
無事、肺癌の手術は終わり、順調に回復していった。
2~3ヶ月は手術の痕が痛むと言われたが、10ヶ月経った今でも時々引きつったように痛むと言っている。
術後の最初の呼吸器内科の検診で抗癌剤治療を断った経緯は、前回お話したとおりである。
実は、この後、暫く検診をしないでいた。
ここのD病院は、非常に患者数が多い病院で、おまけに急患が入るとかなり待たされる。
前回の診察後、次回の診察日を決めようとしたところに入院中の患者の病変があり、ちょと待ってて下さいと言われ、待ったものの結局先生は戻れそうにないと言われて次の検針日を決めないまま帰ってしまったのだ。

こんなこともあった。
廊下に待合室がありそこに大勢の患者さんが椅子に座ってじっと待っているの。
ある患者さんは、9時に予約を入れていたにも関わらず11時過ぎても一向に診察が始まらない。
とうとうたまりかねた患者さんは、
「私たちは病人ですよ。健康な人でもじっと椅子に座って2時間以上も待たされたらきついのに、まして病人を2時間以上待たせるとはどういうことですか!」
ごもっともな意見だ。
本当に、ここの病院は患者が多くて、いつも2時間待ちは当たり前になっている。
対策をどうにかしてもらわないといけないですね。

「薬をもらわないから、C病院で検診してもらってたらいいや。」って思いから、次の予約はとうとう入れないままにしてしまった。
B病院は、1ヶ月に一度検診は、続けていた。

その後、順調に回復はしていったのだが、肺癌の手術から4ヶ月経過した7月、
B病院の副院長からお話したいことがあると呼ばれた。

「肺にうっすら影が見える」と言うのだ。

「えっ!まだ4ヶ月しか経っていないのに」

再度、D病院で検診することを勧められD病院に予約をいれてくれた。
久々にD病院に来た。相変わらず、患者さんが多い。
レントゲン検査の結果、やはり小さな影あるという。
後日、再度精密検査をすることになった。

mitubishi-i.jpg
三菱が新型自動車「i」を2006年1月に新発売する。
革新的なデザイン、新開発リヤーミッドシップレイアウトターボエンジンがもたらす広々とした居住空間は、これからの軽自動車のあり方をかえるかもしれない。
詳細は三菱のiホームページをご覧下さい→ http://mitsubishi-i.jp/

白鳥モータースでは、この i をいち早く予約受注を賜ります。
お問合わせは、今すぐ0947(44)2093へお電話下さい。
会社概要はこちらでご覧いただけます。

今年の香春の梅祭りで初めて歌った「田川燦燦と」。この曲は
金田の竹崎昇造さん88歳の原作で、私が曲をつけました。田川の炭鉱の今昔を綴った長い詩ですが、炭坑節のメロディを前半にもって行き最初はブルース調にまとめてみましたが、年配の方が評価してくれるので炭坑節の乗りに変化させました。
この10ケ月ぐらいで2000人ほどの方に聴いて頂いています。
タイトルの命名は書芸術家の大塚抱節先生。私のCDアルバムいつかまほろばのタイトルを揮毫してくれた先生です。
田川燦燦とは色々な方の想いがこめられた田川の新しい炭坑節です。どうぞ聴きにきてください。
       
     さのよい祭り
  と き 12月25日
  ところ 田川文化センター
  出番 午後1時ごろ
                  シンガーソングライター 
                      さくらい英夫

elefantsu01.jpg今日、19:00より、ラ・ファミイユ・フクジュで宮川葉子&ザ・フライングエレファンツのコンサートが行われた。
最初のステージは、「YO☆KO Band」。TEEN'S MUSIC FESTIVAL で九州代表として全国大会に出場したときのメンバーが、脇を固める。ドラムの樋口君にギターの木村君がそうだ。
これにギターの大久保君(通称ミーボー)にベースはエレファンツのポールこと木村さんだ。
今年ビクターから発売されたミニアルバムから「六本木カフェロジック」やカドリードミニオンにいるチンパンジー「天才パン君」のテーマ曲「Super“パンくん”」等を熱唱した。
最後の曲は、TEEN’Sの全国大会に出場した曲「Just Like」で締めくくり。

elefantsu02.jpgその後休憩を挟んでいよいよエレファンツの登場だ。
筑豊のビートルズとして全国各地でコンサートを行ったのでご存知の方もいるだろう。
彼らは、こよなくビートルズを愛するコピーバンドだ。ただし、単なるビートルズのコピーバンドなら全国津々浦々沢山有るが、エレファンツは、オリジナル曲も沢山持ちその評価は、高い。オリジナル曲を収めた「コンフィデンツ11」は、11曲中9曲がTVCMに採用されている。
今このアルバムを入手するのは不可能で、幻の名盤だ。
彼らが全国へブレイクしたのは、92年に行ったニューヨークカーネギーホールでの公演がきっかけ。私も単身、ニューヨークまで応援に駆けつけた。
その後東芝EMIから発売された「BRICK ROAD」は、憧れのアビーロードスタジオでレコーディングすると言った懲りよう、このアルバムも今では入手が難しい。
この日もオリジナル曲「My heart to you」をオープニングにビートルズの定番曲「All my loving」「Please Please me」「Get back」「Can't bay me love 」、木村さんの一番好きだと言うWingsの「My love」、阿部さんの熱唱する「Imagine」等、アンコールを含め全22曲を歌ってくれた。
バンド結成から30年。今尚、そのビートルズをこよなく崇拝するそのポリシーと歌声は衰えることなく更に円熟味を増した。そして来年からは、また新たな挑戦をするそうだ。
この日最後は、YO☆KO Band が再登場し会場のみんなとHappy X'mas を歌ってコンサートは終了した。
久々の地元でのコンサート、大変盛り上がりました。お疲れ様でした。

8月2日の記事でも一度紹介したが、アンチウイルスソフトをもう一度ご紹介しよう。
殆どの人が、有料のノートンかウイルスバスター等をお使いだと思う。
しかし毎年更新料を払わされるのも癪に障る。
世の中、無料でも結構使えるソフトは幾つでもあるもの。その一つがこのFree版AVGだ。
全て英語表示なので使いづらいと思うかもしれないが、デフォルトの設定で十分機能するので、難しくはない。
http://free.grisoft.com/doc/2/lng/us/tpl/v5
にアクセスし、ページを下にスクロールすると、 avg71free_371a669.exe (12/19現在)が有るので、クリックしてダウンロードして下さい。
ダウンロードしたファイルをダブルクリックするとインストールが始まります。

もう直ぐクリスマス!
子どもたちは、サンタさんにどんなプレゼントをお願いしたのでしょうか?

私の家には、過去2度ほど、子どもたちが起きている時間にサンタさんが、来てくれました。
最初は、長男が幼稚園の年長、次男が年少の時です。

「おうちには煙突がないからサンタさんは来ないよね」
子どもたちは、心配です。
今年ばかりは、サンタさんを見てやるとなかなか寝つきません。
するとどうでしょう!
「メリー クリスマス!」と大きな声で玄関からサンタさんがやって来ました。
もう子どもたちは、おおはしゃぎ。
抱っこはしてもらうは、プレゼントはもらうは、記念撮影をするはでとても喜んでいました。

サンタさんが帰った後に長男が直ぐに玄関を出ます。
空を見上げる長男、でもサンタさんは、もう消えていました。

そして長男が言いました。
「サンタさん、おひげにゴムが着いちょった」「日本語もしゃべれるんやね」
そこで私が答えます。
「今のサンタさん若かったやろ。世界中にサンタさんの子分(弟子)がいっぱいおるんよ」
「ひとりでプレゼント配るの大変やけんね。今のサンタさんは、日本におる子分やね。」

その後、三男が生まれ、三男が2歳の時、またまたサンタさんが来てくれました。
今度のサンタさんは、外人です。英語でしゃべっています。
ときどきへたくそな日本語をしゃべります。
でも子どもたちは、近づくことが出来ません。
あまりにリアルです。

「わー、今度のサンタさん本物が来たね」
「なんて言いようか、わからんやった」

長男も次男も、小5までサンタさんに手紙を書いていました。
毎年、北海道広尾のサンタランドからクリスマスカード届きます。

もう、長男は高2、次男は中3、いつの日かサンタさんにお願いすることはなくなってしまいました。
でもまだ、小4の三男は、サンタさんにお願いしています。
先日、サンタさんに手紙を書きました。いえ書いたと言うよりは、打ちました。
時代は変わって、メールでサンタさんにお願いする時代なんですね。
メールの送り先は、やはり北海道広尾のサンタランドです。
さすがに英語でメールは打てませんからね。

今年も、もうすぐクリスマス。
サンタさん、世界中の子どもたちに夢を運んでくださいね。

ピアニストの永田さんからの情報です。
年に一度、毎年この時期に、方城町で開催される室内楽クラシックコンサート。
終了後に楽しみにしているのが、「桂華」と言う中華のお店で食べる水餃子だとか。
ここの餃子、そうとう美味しいらしいです。
東京から来たメンバーも心待ちにしていたとか・・・。
永田さんのホームページのBBSに記事が載っています。

http://www.mckimura.sakura.ne.jp/scripts/nagatabbs/bbsprev.cgi?thno=3

みなさんも一度ご賞味あれ!

桂華は、方城町伊方3238-4 電話:0947-22-5940 です。

もう今年も、あと2週間で終わり。
あなたにとって今年一年はどんな年だったのでしょう。
西部玄海沖地震は、今年の3月でした。あの時、福岡で倒壊や損傷を受けたマンションは、手抜き工事だったのでは?と、つい疑いたくなる、昨今の不祥事ですね。姉歯建築設計事務所の構造計算書の偽装の裏には、建設業界の利益至上主義が見え隠れします。
さて、万が一の地震に備えて、またお買い替え等で、不要なタンスや家具なんか有りましたら、年末の大掃除と一緒に処分致しませんか?
弊社は、一点の不要品から、お部屋丸ごとまで全てお任せいただける、不要品回収・産業廃棄物処理のエコファンです。
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㈱泰成化学環境開発

メンバー募集

tomohiro
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メンバー 200人
近代建築、現代建築、古建築の都市散策及び建築見学(屋内)をしています。
建物を通して関西の都市文化にも関心を深めています。
毎月、第二土曜日、現地に集まり、関西の近代建築物 (駅舎、喫茶店、大学、学校、和風建築、寺院、寺社、産業遺跡、教会、銭湯、醤油醸造会社、酒造会社、を含む)を中心に、数寄屋建築、民芸建築、遊郭、日本庭園、古民家、伝統建築、町家、長屋、茅葺民家、映画館、老舗料亭、老舗旅館、寺内町、史跡、資料館、美術館、博物館、企業博物館、橋、戦争遺跡、廃線跡、廃墟、安藤忠雄の作品、古建築巡りなどの都市散策をし、その後飲み会を行っています。入会は月例会、プチツアーに参加及び月に一度以上アクセスする方に限定します。
入会費、年会費は無料です。
近代建築探検家クラブ関西本部
bikara_2@hotmail.com
びから たいしょう
http://circle.excite.co.jp/club.asp?cid=i2600449
googleでの当サークルの評価は五つ星☆☆☆☆☆です。

田川では大手と言われる建築事務所を定年退職され、余生を暫く建築設計で世の中に貢献していこうとしているのが
 竹崎幸雄先生です。
手抜き設計、偽装設計で建築設計の業界は信用失墜、大混乱状態ですが、結構いい加減でアバウトな業界だから信用できる設計士が必要とされます。
 人間性で選びたい、そんな方には竹崎先生が最適。設計料も相談に乗ってくれますよ。

 将来、新築、増築、改築をお考えの方はご連絡ください。

■はじめに
愛する人を亡くすと大きな悲しみを感じ様々な症状が現れます。それを癒すには努力
と長い月日が必要です。グリーフワーク(悲嘆の作業)が正常に行われないと悲嘆の
プロセスが遅れたり抑制されたり、長引いたり、欠如したり人生を前向きに歩めなく
なったり結果として人間的成長が阻害されることになります。
相手を励ますつもりで言った言葉でも状況によっては悲嘆のプロセスを阻害すること
にもなりかねません。今回は周囲の人が注意しなければならない事などをお伝えしま
す。
■具体的な事例
1 悲嘆の期間について
死別後1年も経って嘆いていると周囲は「いつまで嘆いているんだ」としばしば叱咤
する場面があると思います。悲嘆は半年から1年で完了することが多いと言うだけで
2年悲しんでも3年悲しんでもその期間はその人にとって必要のある悲しみの期間で
す。特に子供さんを失った場合や自殺の場合は5年続いても正常なプロセスです。
2 ○○さんを失った事について考えない方が苦しみは少ないという考え方
「○○さんを失った事について考えない方が悲しみが少ない。もう忘れなさい」と良
く言われるセリフがあります。無理に喪失体験を忘れて新しい世界に入ろうとすると
逆に悲嘆のプロセスを正常に歩めなくなって病的悲嘆に陥る事があります。失った事
をゆっくり考えなければなりません。
3 喪失について触れない方が遺族にとって良いだろうという考え方
「旦那さんを失った事については触れない方が奥さんにとって良いだろう」もちろん
その様な事もあるでしょうがむしろ触れてもらって「さぞかしつらいでしょうね」と
慰めてもらった方が助けになる人が多いことも事実です。声をかける側も悲しむ事が
当たり前だと受け止めて相手の話を聞いてあげ、共に悲しみを分かち合うようにしま
しょう。
4 怒りや罪責感を感じるのは異常であるという考え方
死んだ人を恨んだり医者を恨んだりあるいは自分を恨んだり責めたりするのは異常で
あるという考え方は誤りです。怒りや罪責感は悲嘆のプロセスとしては通らなくては
ならない関所のようなものです。一時的にその感情に浸ったとしても決して異常では
ありません。
5 喪失の事を話したり感情を表出したり泣いたり叫んだりすることが大切です
喪失の事を話したり、感情を表出したり、泣いたり叫んだりできる方が悲嘆プロセス
を促進して早く辛い状況から立ち直る事が出来ます。泣いた後はたいてい気分がすっ
きりします。気分の爽快感は悲嘆プロセスの促進を意味します。
6 小さい子供には親の死を教えない方はよいという考え方
小さい子供には親の死を教えない方が良いとする考え方が一般的ですがこれは非常に
危険です。子供にとっては親が突然亡くなる訳ですがその説明を誰からもしてもらわ
ない場合その子供の精神の成長に障害が起きる事が良くあります。中には非行に走る
事もあるそうです。子供はその年齢相応に死について概念化しているので子供が理解
できる言葉で「あなたのお父さん(お母さん)は死んだのよ」と伝える必要がありま
す。また、状態が悪くなった段階で「もうすぐあなたのお父さん(お母さん)はこの
世を去るかも知れない」という事を教えてあげた方が受け入れやすいでしょう。
○小さい子供の留意点
子供は喪失後、非常に早い新しい関係を形成する傾向があります。その結果として子
供は、死別を体験している親たちと歩調が合わなくなることになります。死別を体験
している子供達は全て将来情緒問題を持つ危険性があるとも言われています。
○サポートのためのガイドライン
もし子供の親が末期状態であるならば「この状態は誰も手を下しようが無い。出来る
だけ命を長引かせる手は全て打った」ということを教えます。そして死を伝える時が
来たら死の知らせを見合わせてはいけません。子供が理解できる単純な言葉を用いて
真実を教えます。
7 薬物やアルコールは悲嘆の痛みを緩和するという考え方
辛い時はお酒を飲んだり安定剤を飲んだり良いというのは余りお奨めできないでしょ
う。
安定剤はそれによって情緒を安定させるので逆にたどらなくてはならない悲嘆のプロ
セスを遅らせてしまう可能性があります。
アルコールもかえって自責の念が強くなり辛くなる事も。また、飲み過ぎは家族や親
族の非難や拒絶に繋がりやすく家族関係まで悪化させてしまうことにもなりかねませ
ん。更にはアルコール依存症の危険性があります。
8 悲嘆しすぎると健全な精神を喪失するという考え方
人によって、その人固有の悲嘆の仕方がありますので悲嘆のしすぎ泣きすぎと言うこ
とはありません。
9 怒りは悲嘆の正常な情緒反応ではなく表出を奨励すべきじゃないという考え方
つまり怒ってはいけない、医者や遺族に対して怒りを向けてはいけない。しょうがな
いじゃないの今更などという考え方がありますが、実は怒りたい時には怒ったらいい
のです。
問題は周囲の人がこれは怒っているんだと受け止めるのではなく悲嘆しているんだと
懐深く受け止め冷静に対応する必要があります。
また、故人に対して「置き去りにされた」という怒りの感情は正常な情緒的反応と言
われています。
10 悲嘆のプロセスは短い方がよいと言う考え方
理性のコントロールによる悲嘆プロセスの短縮化は数ヶ月〜数年後に悲嘆そのものが
身体症状の形で再発することもあるそうです。悲嘆のプロセスはその人固有の期間が
あります。決して短い方が良いとは言えないでしょう。特に1ヶ月以内で元気になっ
てしまう人は病的悲嘆に陥る危険性が高いそうです。
■おわりに
悲嘆について周囲の人の理解もさることながら自助グループ”ひまわりの会”のよう
な同じ悲しみの体験を持つ人達と互いに支え合う事ができたら素晴らしい事ではない
でしょうか。

母の闘病日誌(6)の続き
肺癌の摘出手術は、右肺上部1/3を切除するものだった。
開胸手術は、体に負担がかかるということで、手術時間は長くかかるけれど、開胸より術後の回復が早く痛みも少なくてすむと言うことで内視鏡を使った手術をしていただくことになった。
脇腹に3箇所穴を開け、内視鏡の画像を頼りにメスを入れると言うのだ。
相当なテクニックが必要なのだろう。
午前10時ごろに手術室に入り、手術が終わったのは午後の4時になっていた。麻酔時間を入れ6時間の手術である。この間、集中力を途切れさせること無く執刀をしていたのかと思うと敬服する。
過去の手術に比べ、時間も長く、ただただ無事成功を祈るばかりであった。

N2医師から術後に経過説明があった。
全て巧く行ったと言うのだ。
摘出した癌を見るかと聞かれたので、どんな病巣なのか見せてもらうことにした。
驚いた!
空気の抜けた肺の中に、ゆで卵と同じ位の大きさでドス黒くて魚眼のようなう薄気味悪い物体が入っている。

これが癌なのか!

麻酔が覚めるのを待って母の病室に行った。
よっぽど痛いのだろう、「痛い痛い」と唸っている。
少しづつ意識が覚めてきた母は、
「脇から背中にかけて痛い。今からこんなに痛いのなら私は手術はせんでいい」
「・・・?」
全身麻酔で手術を行った為、手術のことは一切知らないのだ。
まだ混乱しているようだ。

次の日の朝、病室を訪ねると母は、
「こんなに痛いなら、とても手術に耐え切れん。先生に手術はせんでいいと言った」
と言うのだ。
「お母さん、なん言よっと。手術は、昨日、終わっとうよ。成功したんよ。」
「そんなことかね。私はてっきり今から手術するかと思った」
やっと飲み込めたようで安心したようだ。

術後の経過も良く、5日間で退院させると言う。
他の病院もそうなのだろうか?直ぐにリハビリが始まる。患者を甘やかさない。手術の明後日から、食事もトイレも自分でさせる。
早く回復させるためと血栓を防ぐためには、とにかく体を動かさなくてはならないそうだ。

痛い痛いと言いながらも自分でトイレに行っている。
「早く元気になりたかったら、食事もしっかり食べないといけませんよ」
看護士に言われたとおりに残さず食べているようだ。

予定通り術後、5日間で退院した。
そのまま、C病院に戻ることにした。
C病院に着くと、看護士のみなさんが、
「お帰りなさい。ようがんばったね。」
と温かく迎えてくれる。

「みなさん、よろしくお願いします。」

一通りの検査をし、母は病室へと引き取られていった。
その後、副院長に呼ばれ、手術の経過説明をした。

「大変な手術をされましたね。しばらく私のところでお預かりし、回復させましょうね。」

有り難いことである。

その後、ここC病院での健診と、B病院、D病院の定期健診を続けることになる。

D病院での検診の時だ。
呼吸器内科のH医師から、今後の癌再発防止の治療について説明があった。
薬による抗癌治療を勧められた。

しかし、私は、断った。
1年前の癌手術の後、はっきり因果関係は掴めないが、母が薬の副作用でパーキンソンが出たり、うつ病になったりしたことを伝えた。
癌とは、今後も付き合っていかなくてはならないだろう。しかし、元気を失い、精神的な病になったのでは、闘うことすら出来なくなる。

H先生は、理解してくれた。
「では、定期的に検査だけは続けていきましょう。再発するかどうかは、分かりませんからね。もし再発したらその時に対処の方法を選びましょうね。」
母もそれで納得してくれた。

その後も、癌とは長い付き合いになるのである。

いつかまほろばのCDアルバムを発表してから1年がたちました。おかげさまで全国の知人友人が記念に引き取ってくださり、完売いたしました。
再来年をめどに2枚目のアルバムを発表しようと新曲を作ってきました。さくらい英夫以外にも詩を書いて下さる方々が続々と現れ、急ピッチでメロディを考え、編曲に努めました。
皆さん偶然にも命をテーマにした詩がそろいましたが、考えてみればさくらい英夫自身が常に命をテーマにした曲を作ってきましたから、皆さんそのことを承知して書いてくれたものと、うれしく思います。
 このごろは、人間の命が軽んじられているような気がします。
 殺人が日常茶飯時の事件となり、まるで戦国時代に戻ってしまったかのようです。
 こんな世相ではいけません。こんな世相を黙認、容認、あきらめてはいけません。
 さくらい英夫は命の大切さを歌に乗せて訴えていく運動をさらに進めていきます。
 心ある方々のご理解とご支援をお願いいたします。
 CD アルバムは、今回収録した歌をもっともっと歌いこんで再来年吹き込みなおして発売したいと思っています。
 早めに入手したい方にはデモCD でよければお譲りいたしますのでご連絡ください。。

アルバムタイトル「命の歌」
1田川燦燦と▶試聴する
2輝く明日へ▶試聴する
3愛する君よ▶試聴する
4筑豊の花▶試聴する
5筑豊の花尺八編▶試聴する
6命の花彼岸花▶試聴する

         シンガーソングライター
              さくらい英夫

塾で殺人が

tomohiro
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学校で起こるのだから、塾で起きたとしてもおかしくない。こんな不謹慎な発言が飛び出しそうですが、残酷、哀れな事件です。
 私はかねてから生徒に話してきました。一人の人間には必ず悪魔と天使が住んでいる。どんなきっかけで天使が悪魔に、悪魔が天使になるのかを。それをいかに理性でコントロールするのかを。
 考えてみれば人間は何億と言う精子のただひつとの精子が生存競争に生き残って生命が誕生する。命を欠けた戦いは生命の遺伝子の中に組み込まれた宿命である。
 命を奪うことは食欲の本能と一体的なものでないかと考えます。ただひとつ絶対に奪ってはいけないのは人間の命である。と言うことをしっかり教え込んで置かないと、命を奪うと言う本能が何らかのきっかけです発現してしまう。
 皮肉にも物事の知識を教える教育機関の塾で殺人が起きた。命の大切さ、してはならないことを塾ではほとんど教えていないと思う。
 私の塾は常日頃から道徳、倫理、政治、宗教のことを話題にしている。学校で、家庭で封印され、無視されている分野だからこそあえて話題にしているのだか、生徒によっては余計なことと嫌がる人もいる。塾は、学校以上に地域に開かれていない。水商売的なところがあり、塾開設者の人間性、講師の力量など世間にはまったくわからない機関、存在です。
 このごろ、建築確認の検査機関の信用性が疑われているが、勝手気ままに開設可能な塾は何を根拠に信頼したらよいのか、その辺のところが全く議論されていない。
 少なくとも私、英光学院は自分から自身や学院を世間にさらして評価に耐えうるよう努力しているつもりです。
 講師採用についても、人間性が1番、学力、指導力は2番。なぜなら学力は経験と慣れですぐに対応できるが、人間性は、その人の過去や歴史にまでさかのぼらなければなりません。即戦力として、有望なのは人間性なのです。
 塾長の私が常にこのことを心がけることが何より大切だと思っております。

                   個別指導英光学院
                     塾長櫻井英夫

母の闘病日誌(5)の続き
心筋梗塞の手術も終わり、術後の経過も良好。
年が明けて、2005年の1月、肺の検査にD総合病院の呼吸器内科へ行く。

呼吸器内科のH先生、かなり若く見えるので最初は、インターンの先生かと思ったほどだ。
レントゲン検査だとやはり肺に影がある。悪性の腫瘍の可能性もあるので内視鏡で肺の細胞を採取し検査をすると言うのだ。

その後、呼吸器外科のN2先生(心筋梗塞のN先生とは違います)の内視鏡検査を受け、結果を聞く日がやってきた。

結果は、やはり肺癌だった。転移して出来たものか原発性のものかは分からないと言う。

事前に母に告知していいかどうかのアンケート調査を受けていたので、前回同様、前向きに対処するので告知してくれと伝えていた。
N2先生は、母と私に尋ねる
「肺癌の手術は、かなり負担がかかります。手術をしたからと言って、5年後の存命率は50%以上としか言えません。手術しないで抗癌治療を続けても5年後は生きていられるかもしれません。手術するかしないかは、ご自分で判断してください。」

尽かさず私は、聞き返した「母は手術に耐えうる体力があるということですか?」

N2先生は、
「おそらく今のお母さんの状態なら大丈夫でしょう。もちろん手術となると事前に体力検査はいたしますが・・・」
半年前の母であれば考えられないことだ。
よたよた歩き、目は虚ろで気力の抜けきっていた頃の母に比べれば、なんと幸いなことか、肺癌の手術に耐えられると言ってくれたのだ。

私は母に言った。
「お母さん。1年前は2ヶ月から半年しか持たんて言われたろう。今は、5年も生きられるって言われたばい。手術したら5年以上生きられるかもしれんて言われたろうが・・・。」
「5年も生きてたら、その内、癌は、ひとっつも怖い病気じゃなくなっとうよ。もう一度、頑張ってみるね」
母は、殆ど悩むことは無かった。肺癌と言う胸部を切開する手術への恐怖心は拭えない。しかし、今の母は、生きることに対しての希望のほうが強かった。

「あんたがそう言うのやったら、手術をしてもらおうか」

肺癌手術をしてもらうことになった。
あの時、心筋梗塞でN先生が肺の影を見落としていたら・・・
C病院に入院しないで体力が回復していなかったら・・・
おそらく、自覚症状が現れて肺癌が発見されていれば、母の手術は手遅れになっているかもしれないし、更に高齢になれば手術に耐える体力も無くなっていく。
母にとって、本当にラッキーとしか思えない。

その後、体力測定と、他に転移が無いか検査を受ける。骨髄と脳に転移があれば手術は、しないと言われたが、幸いなことに転移は無かった。

2005年2月、いよいよ肺癌の手術だ。
2004年3月から1年の間に、3回の大手術を受けることになった。

母の闘病日誌(7)へ続く

回転寿司と言ったら、リーズナブルな値段で寿司が食べられることで何処も盛況ですよね。

 私は、この辺じゃ、頴田の「一太郎」を利用します。
魚卸をやってるところが経営しているだけあって、ネタも新鮮だし、料金も安い。
ここは、夕方行くと、いつ行っても大概、1時間は、待たせられます。

 次に良く行くのは、トリヤス久山に映画を見に行ったついでによる「多吉」。
ここは、ほんとに美味い。そしてアレンジ寿司が豊富で、結構、面白い味に出会えるのが楽しみ。子供向けメニューも豊富なのが良いですね。
でも、ここも大抵1時間待ちですね。

 そして今回のスペシャル情報は、門司港レトロ近くにある「海人(KAITO)」。
ここは、あるメンバーオンリーのフォーラムで仕入れた情報です。
自称「日本一おいしい廻転寿司」なんだそうです。
また、ふく料理も専門だそうで、ホームページには、「市場の仲卸だからこそできるふく料理の醍醐味をゆったりとした和の空間でお楽しみ下さい。」とありました。

紹介者のコメントを拝借、

”ふくのしらこ”なんかは、もう~口の中でとろけてしまいます。(値段も安いので・・)

だそうです。
KAITOのホームページは、http://www.navitown.com/kitakyushu/kaito/です。

私も、一度行ってみたいと思いますが、もし先に行かれた方がいらっしゃいましたら情報をお待ちしています。

この言葉を初めて田川で聞いた時、大きな衝撃を受けた。
田川ってそんなところか。
川崎町で町議会に出ることを決意し、安宅の山頂から池尻まで
一軒残らず訪問しようと考えたが、安宅のショ鼻、地元の古老から出端をくじかれた。よそ者が馬鹿なことをことをするな、帰れ。
 しかし、結果は奇跡的な当選となった。東京から10年前に移住した人間が田川、川崎で政治に参加するなど無謀と言う。
市議、町議にしても当選を確実にするためには地盤、支援組織が不可欠。それを持たない候補者は、所詮お金をどぶに捨てる泡沫候補で笑いものになるだけ。
 前回の統一地方選挙。再選を期して臨んだが、まさかの落選。
再来年の統一地方選挙をにらみ再び安宅の山頂からあいさつ回りを開始したが、7年前と同様に地元の人間しか相手にせんよ。と口角泡をとばされた。
 この強烈な地元意識、田舎根性こそ利益誘導の政治風土を形成する。議員は地元代表であれば資質は問われない。こんな人が当選するのと首をかしげるケースが多見されるのは、強烈な地縁血縁の結びつきによるものです。
 さて、白鳥工業団地にトライアル進出がきまった。田川市長の大手柄。焼却場建設を断念し、食料品加工企業誘致に成功した。
白鳥に工場が建って,腹を立ててはいけませんよ。市長の成功をやっかんではいけませんよ。素直に喜びましょう。
 この嫉みそねみ、村根性とどう向き合うかが私の選挙戦です。
田舎の政治改革は長老支配の意識を変えなければ前に進みませんし、有力企業は心配で心配で進出してきませんね。
 意識改革、政治風土改革を良識ある方々で是非とも。

田川市カルタ大会

tomohiro
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先日の日曜日(12/4)に田川市総合体育館で、「田川市子どもカルタ大会」が開催された。
元々、育成会連合会主催での行事だったが、今は田川市の12月大イベントとして定着した。
今年も後藤寺校区から優勝チームがでた。2連覇だ。
相手チームの強豪を二人で挟み込み、封じ込めると言う、作戦勝ちらしい。
カルタも技が有るのだなと感心した。
優勝チーク他上位6チームが、1月22日に川崎町で開催される筑豊大会に進出する。

以下上位6チームの紹介。

優勝 後藤寺アディダス
2位 後藤寺レインボー
3位 アルファ白鳥B
4位 後藤寺チーターズ
5位 角銅原子ども会
6位 アルファ白鳥A

なんと後藤寺の強いこと。来年は他校区も必死でリベンジしてくるだろうな。

一昨日、久々に携帯の料金プランを見直してもらおうとdocomoショップへ出かけた。
最近、「ドコモダケ~」の宣伝がやたらと耳にするのでなんとなく行ってみた。
するとどうだろう案の定、11月から新プランが登場していた。携帯通信会社も低料金の価格競争が激しいようだ。
現在私はdocomoを利用して7年目、15%割引の適用だったのが、新プランの登場で21%割引適用になるのだ。
6%も安くなる。
行ってみてよかった。
行かない限り、“向こうからプラン変更しませんかなんて案内、来た事無いもんね”
と、思いつつ、帰宅するやいなやdocomoショップから会員向けのメルマガが届く。

「料金プラン見直しませんか?料金診断実施中、しかも『平日』にご来店・診断された方にはお米券、ドコモショップオリジナルグッズ等もれなくプレゼント・・・」

えっ!さっき行ったばかりなのに何もくれなかったゾ!

私が、見直しに行ったので慌てて全会員に料金見直しメールを送ったのかな?

なんて勘ぐってしまった。
携帯電話をご利用の皆様、料金プランの見直しはこまめにやりましょう。
携帯通信会社から勧められることはまず無いと思いますよ。

来年早々の香春町町長選挙をかわきりに、福智町町長選挙そして、再来年の統一地方選挙に突入していく。
国政は、衆議院が今年解散になり自民党が異常な程の大勝利。他党の存在感の薄さは半ばあきらめさえ感じられた。小選挙区制度は政策を競う選挙だそうだ。したがって、与党の政策を批判するだけの選挙戦のあり方、政党は小選挙区では中々勝てない。スキャンダル、失策の少ない小泉政権は実に安定している。
国はいい。野党が少数でも、第3の野党のマスコミ、アメリカがいる。地方政治はどうか。地縁血縁のがんじがらめで、ダイナミックな変化は起こしようもない。誰がなっても良い。国の体制さえ変わらなければ、地方は地方自治の体裁さえ整っていれば人材の資質は問わない。そんな傾向があるような気がしますが、どうでしょうか。
 若者よ、地方議会に立たとう。名誉職、利益代表、利権誘導そんな地方政治から国政のように政策を議論する、議員提案でどんどん条例を作っていけるほんとの地方自治、地方議会にしていきましょう。
                前川崎町議会議員
                    さくらい英夫

母の闘病日誌(4)の続き
ここまで母の闘病を整理しておくと

・A総合病院に二十数年来、更年期障害・大腸ポリープ等で3名の医師にかかっていた。

・H16年2月、突然の大量血尿でB個人病院にて診察、膀胱癌で余命2ヶ月から半年と診断される。A総合病院での再検査を促される。

・B総合病院で膀胱癌の手術、手術は成功し、命を取り留める。

・術後に認知症、パーキンソンの症状が現れ始め、体力的には杖なしの歩行も困難状態まで悪化。A総合病院にてうつ病と診断される。A総合病院の医師に精神科への入院を促される。

・C病院に入院しリハビリをスタート。食事療法で薬も減らしてもらい、3ヵ月後には体力もうつ病も回復した。

12月の最初の日曜日だった。12時ごろ病院から電話が有った。

「お昼の食事に出てこないので病室に行ったら、胸が苦しいと言ってました。今日は、副院長も休みで直に救急医療センター(以下D総合病院)へ搬送しました。そちらの病院へ向かってください」
そのD総合病院は、隣の市にある。大物大臣のグループ会社が経営する個人病院なのだが、県の救急医療センターを併設で運営している。

私が病院に着いた時は既に1時を回り、C病院から付き添ってくれた看護士が私を待っていてくれた。既に検査が始まっていた。
暫くして担当のN医師が説明に来た。心筋梗塞の疑いがあるので直にカテーテル手術を行ったほうが良い。そして手術の危険性が数パーセント、手術が巧くいっても合併症を起こし脳梗塞などを起こす危険性が数パーセントと説明が始まる。同意してくれと言うのだ。

私は躊躇した。

なぜなら、私の友人のお母様がここの病院で院内感染を併発し、病院側ともめている内に、病院の退室を余儀なくされ、結局併発した肺炎が原因で亡くなるいう不幸に見舞われていたからだ。この事は週刊誌にも載ったし、担当医を訴えて裁判沙汰にもなった。

私は単刀直入に聞いた、
「この手術の危険性は分かりました。ところでその数字はいったい何処の数字なのでしょうか」、
「全国平均です」、
「では、D病院の数字はどうなのでしょう。そして大変失礼ですが、N先生のご経験と成功率をお聞かせ下さいませんか。生死に係わる問題ですから」
「ここの病院は全国平均より低いです。そして私は、今まで失敗の経験はありません。」
「分かりました。しかし先生、もう少し時間を下さい。母の主治医とまだ連絡が取れていないのです。主治医の先生にも相談したいのです」
私の警戒心はまだ拭えてなかったからだ。

直にC病院に電話を入れ、母の症状と副院長に連絡を取りたいことを伝えた。
休暇中でなかなか連絡が取れなかったようで1時間ほどしてやっと携帯に連絡が入ってきた。
母の症状を伝え、私がいまいち病院を信頼していないこと、生死に係わる手術の説明を他の患者も居るロビーで、それも立ち話で聞かされたこと等、不安材料を伝えた。
すると副院長は、「私の病院はD病院を全面的に信頼しそこへ搬送しています。少しでも早く手術したほうが良いので立ち話をされたのではないでしょうか。木村さん、手術を受けられた方が良いですよ」
と言ってくれた。
副院長にそこまで言っていただければ、あとは何も躊躇することはない。

「N先生、先程は大変失礼なことを申しました。先生を全面的に信頼して手術に同意します。どうぞ母を宜しくお願いします」
早速、母の手術が始まった。あとで聞いたが心筋梗塞は、早ければ早いほど、成功率が高いそうだ。
手術は無事に終わった。
あとは1週間以内に合併症が併発しなければ大丈夫だ。
術後にN医師に呼ばれ、手術の経過説明を聞き全て巧くいったことを告げられた。
しかし、そこで医師はレントゲン写真を見ながら、
「肺に少し影が見えます。念のため退院したら肺の検査も受けてみたらいかがでしょう」
と気になることを言った。

母は、無事1週間で退院できた。
C病院の素早い対応とN医師のお陰で一命を取り留めた。
もし、11月の時点で母をC病院から退院させていたら、私たちでは発見が遅れ、母は自宅で亡くなっていたかもしれない。ほんとに強運の持ち主だ。

退院後、一旦自宅に帰ったが直にC病院に再入院させていただいた。ここに入院させていただくのが一番安心なのだ。母もここの病院に居たお陰で生きていられたとそう思っている。

副院長に肺に影があるので再検査を薦められたことを話すと、ここの病院でも定期的にレントゲンは取っているが気が付かなかったと恐縮していた。
それくらい見落としがちな影なのだろう。
ところがその再検査でとんでもない事が発覚した。

母の闘病日誌(6)へ続く

以前投稿した無臭にんにく球の記事を覚えているだろうか。

今日、本当に送ってきた。


ninniku01.jpgninniku02.jpg


一袋に琥珀色のニンニク球が200粒入っている。
母と妻の分含めて3袋を送ってもらった。
一日3粒が目安なので、1袋に2か月分が入っている。
継続して希望の方はFAXを送ってくれと書いている。
無償でずっと送ってくれると言うから驚きだ。ほんとにありがたい。
ニンニクには、アリシン、アホエン、アリシン、アリチアミン、スコルジニンと言った有効成分が含まれていて、加熱や擦り下ろし、炒める等、調理法によってその主成分が異なってくる。
何れも健康に有効な成分である。
このカプセルは生ニンニクを閉じ込めてあるのでアリシンを多く含んでいる。

田川市後藤寺出身のとってもキュートなシンガー、古川幸栄さん。
2001年12月にCDデビューして早4年が経ちました。

毎年、後藤寺神幸祭の時は、お祭広場でコンサートをしてくれていますね。
東京では、精力的にライブ活動を続けています。

そんな幸ちゃんのホームページを見つけました。SACHI-e WEBSITEです。
ブログもありますよ。
Dream以来新作が出てないなーと思ってたら、インディーズで製作を続けていました。
今年2曲を発売しています。

月に恋した向日葵
東京の空の下

試聴も出来ますので聴いてみてください。
通販で販売もしています。

母の闘病日誌(3)より続き
母が入院したのは、老人病棟で認知症の患者さんもかなりいるようだ。その病棟だけで40~50人ほどいらっしゃるのだろうか。
入院するに当たり、母の抵抗は無かった。母も知ってる先生であったし、「ここに来たら、歌をうたったり、散歩したり、花を植えたり出来るよ」「面白い人達もいっぱいいるよ」と先生が声をかけてくれた。

母のリハビリがスタートした。

一日の日課は分からないが、たまに覗きに行くと、軽いストレッチや、カラオケ大会、お誕生会などをやってくれていた。3食、決まった時間に食事が取れるのも母は気に入ったようだ。
部屋は4人部屋で、人との会話をあまりしなくなっていた母だが、1ヶ月もすると他の患者さんのことをよく話してくれるようになった。
顔のむくみが消えた。

2ヶ月経った頃にはよたよた歩いていたのが、前のようにまっすぐ歩けるようになった。会話も全く以前のようにとはいかないが、かなり回復している。

3ヶ月経った11月である。もう完全に回復しているように思える。
私は母に尋ねた「お母さん、もう前みたいに元気になったみたいやけど、もうそろそろ家に帰るね」
すると母は「(病院に)帰れって言われれば帰るけど、あったたかくなる春まで居ても良いような気がする」
なんと母はすっかり病院の生活が気に入ってしまったようだ。ここに居れば一日中話し相手もいるし、3食まかなってくれるからである。
家に帰れば、ヘルパーさんが手伝ってくれるものの、買い物も料理もしなくちゃならない。
しかしここは老人ホームでもグループホームでもない、病院だから、それは無理かなと思いながら、診察のあと、副院長に相談してみた。
「思ったより回復が早くて良かったですね」
「先生ありがとうございます。全く以前の母に戻りました」
「先生、相談があるのですが、母が春先までここに居たいって言ってるんです」
「病院を気にいると言うのも困った話ですが、良いですよ。他の病院みたいに追い出したりしませんから」

実は、この時の病院の配慮が、2度目の母の命を救うことになるのだ。

母の闘病日誌(5)に続く

母の闘病日誌(2)より続き
手術後、母は、毎日通っていた私の会社には来れなくなった。
術後の経過は良く、順調に回復したのだが、気力がうせてきて、毎日テレビを見ての生活に変わっていった。
術後1ヶ月もすると、明らかに言動がおかしくなり被害妄想が出るようになった。
内科にかかっていた先生が、脳のCTスキャンを取って調べてくれると、認知症が進んでいると言う。
2ヶ月たった頃には、体力も衰え、パーキンソンが現れ手が小刻みに震えだす。
この頃には、目は虚ろになり、何一つ自分でしようとはしなくなった。
歩行にも障害が出始め、杖をつかないと歩けないようになってしまった。

母は、元々、耳鳴りや尿が出にくい、血糖値が高い、大腸のポリープ手術等、ここの総合病院には、定期的に通い、3名の医師に付いていた。
何れも確たる治療は出来ず、更年期障害と言うことで薬を服用しながら症状の進行を抑えている状態だった。それぞれの医師から薬が出るので、大量に服用を続けていた。

それに加えて、今回の膀胱癌手術で、更に抗癌剤の服用が増えたわけである。

パーキンソンの症状が出始め、明らかに体力も気力も衰え始め、精神的にもおかしくなっていく母を見かねた私は、思い切って内科の先生に告げる
「先生、薬が多すぎませんか」
担当医は、「それぞれの先生方が必要と思って薬を出していますからね」「かなり強い薬も服用しています。それを少し減らしてみましょう」
それから2週間経った頃、母の手の振るえが少し収まってきた。
私は、やっぱり薬が強すぎるんだと確信した。
次の診察のとき内科の先生が私に進めてくれる

「お母さんはうつ病です。ここの病院には精神科がありません。思い切って精神科のある病院に入院させてあげた方がいいかもしれません」

この先生の助言に感謝している。

このままここに通院しても回復しないよ、と暗に促してくれたのである。
既に癌手術から4ヶ月が経過していた。

私は精神科のある病院に相談に行った。
そこの副院長に、今服用している薬をもって母を診察に連れてくるようにと言われ、数日後、再度病院へ行った。
総合病院の内科の先生が、それまでの母の経過を克明に記した手紙を書いてくれた。
それを見ながら、
「お母さんは、色んな病気を持っていらっしゃって、今まで色んな薬を次から次に試していますね。確かに薬が多いようです。」
「私のところに入院させてあげなさい。出来るだけ薬を減らすよう食事療法してあげましょう」
ベットの空きがあるまで待ってくれと言われ、ようやく母を入院させてあげられたのは、9月始め、既に癌手術から半年が過ぎていた。

ここから母の驚くような回復が始まった。

私の流行語大賞

tomohiro
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マスコミが注目した流行語大賞が発表されたが、政治をも左右するマスコミ。その功罪をしっかり認識し、流れに乗れているのが小泉総理、堀江モン、みのもんたなどなど。
 さて、私個人の今年の流行語大賞は
さしずめ
 いつかまほろば
 久保誠三郎
 竹崎昇造
 尺八
 シンガーソングライター
 Eーメール
 米寿
 街頭宣伝
今年の報道は小泉総理の動向に特化したが、来年はどんなことがは流行でしょうか。

多彩な才能に遭遇

tomohiro
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 昨日、造形作家“和田博康”氏のアトリエを訪ねた。
氏は木や和紙など自然の温かみが有る素材から、その辺に転がっているような空き缶等無機質なものまでありとあらゆるものを使い造形していく。そしてひとつ一つの作品に魂を吹き込んでいく。その作品たちひとつ一つが、まるで今にも語りかけてくるようだ。
 実は和田氏から
「自分の作品たちは、今までどんな依頼が有っても手放す(売る)ことはしなかった。でも今の世の中何か変。私の作品が世の中に訴える機会を何か作ってくれないか」
と言う、いささか難しいオファーを頂いたのである。
 氏とは初対面であったが、意気投合してしまいなんと3時間半もそこに居座ってしまった。
その中で一番驚いたのは、氏の次女の“わだ まゆ”さんの新風舎から出版されたポストカードブックを手渡された時だ。(2次利用されないようあえて画像は低解像度、照明の反射がある状態で掲載しています)
blackbird01.jpgblackbird03.jpg

カードを開いた瞬間、身震いした。
ゾクゾクっと背中に電流が突き抜けたのだ。
なんだこのカードから伝わってくるメッセージは!

描かれているBlackBirdは、飛ぶことが出来ない鳥なのだ。
大空に飛ぶ鳥たちを寂しそうに見上げている。
ひとりで寂しくうなだれている。
全16枚からなるその作品は、全てメッセージ色が強いが淡い色使いと曲線のみを使用した優しいタッチで描かれている。

また後日打ち合わせをすることにしその日は、和田氏のアトリエをあとにした。
次の日(今日)、早々に私は、わだまゆさんに会いに行くことにした。

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