櫻井英夫: 2006年2月アーカイブ

2/25、26日の両日に渡って行われた第35回保裕旗少年剣道大会。遠くは広島、岡山から選手を向かえて全国大会の様相を呈してきました。高校玉竜旗大会も最初は福岡県の有志が始めたものらしく、それが全国に波及していきました。したがって、予選も無く希望の高校は申し込みだけで大会に臨むことが出来ます。参加自由ですが、九州の剣道レベルが高いだけに、この大会で上位に進むことは、公式の全国大会で上位に進出できる実力が証明されることにつながります。その価値観が全国に波及しつつあります。
 さて、 川崎町は少年を対象にした大きな大会を年 2回も実施しています。核になるのは、森安修道館という 1道場ですが、40年になろうかという活動実績の中で多くの人材
が育ち、有形無形の環境が育っています。選手のみならず、審判団も田川を始め北九州地区から出てもらっています。
 交流は行ったり来たりすることに意味があります。森安修道館の選手は、色々なところに試合に出向き中々良い成績を残しています。そのことが良い宣伝となって、森安の大会ならで出てみたいという権威のようなものが醸成されていると思います。
 実はこのことが、田川の街づくりのヒントになるのです。
 田川を見渡してみても、こうしていまだに成長を続けるイベントはほかに考え付きません。素晴らしいことです。このごろは関係者のぼやきも少なくなり、達成感を感じられるようになりました。
 高校の玉竜旗では福岡に集結する選手は相当数に上ります。
その経済効果は大なるものがあります。
 この保裕旗大会も2日間にわたるので、宿泊してまで大会に参加するチームもあると聞きます。この大会をけっして途絶えさせてはなりません。なぜならく、高校玉竜旗剣道大会の如く色々な意味で田川に無くてはならない催しであることは間違いないからです。

                元森安修道館後援会長
                  櫻井英夫 (剣道5段)

 1度目は4−5年前の話。川崎の盆踊りは全国でも珍しいから良い脚本が出来る、映画はヒットする。と川崎出身の監督を紹介され脚本まで見せられたが、実現しないままうやむや。
 2度目は昨年の「すかぶら」。西日本新聞がたいそう持ち上げて書きまくったが、制作費が確保できないので映画製作実行委員会の委員になってくれといって要請があったが、制作費の話が余りにも大きすぎてその後うやむや。どうなったのかな。
 3度目は赤坂小梅のドキュメント製作。これまでとは違う意気込みと現実的な予算規模に、こんどは大丈夫そうだなとの感触を持った。 
いずれのケースも心情的には是非完結してもらいたい、出来た映画もヒットして田川が全国的に脚光を浴びるようになれば良いと願っていますが、先立つものは金のようです。
 川崎町出身の赤坂小梅は戦前の歌姫であるばかりでなく、実は政界、財界の要人と通じた大人物だったのです。このことは、今の人はほとんど知りません。戦争の混乱と炭鉱の閉山で忘れられたものになりました。
 赤坂小梅の細腕繁盛記。どんなドキュメントになるか是非完成させてもらいたいものです。
 私も出来る限り協力したいと思っています。
 ただし条件をつけました。
 1地道に地元の根回し、説得をしてムードを盛り上げること。
 2ドキュメントの支持者を拡大するためにイベントを打つこと
 3自治体に全部依存するのでなくて、支持者に制作費を作って   
  もらうこと。
 これらの見通しがつけば完結できますが、つかなければ前2回と同じ道をたどります。

 必要は発明の母。世間が必要とすれば物事は成就する。これ自然の理なり。
   
        赤坂小梅の実績に改めて感服する
        シンガーソングライター  
            さくらい英夫

本日2/21の新聞に公立高校の競争率が発表されています。
 田川高校...定員280 志願者282 競争率1.01 前0.91
 東鷹高校 定員280 志願者291 競争率1.04 前1.02
 西田川   定員200 志願者213 競争率1.07 前1.11 
 科技高校 
  旧農林 定員 80 志願者97  競争率1.21 前1.52       
   工業 定員120  志願者122 競争率1.02 前1.58 
   商業 定員 80  志願者72  競争率0.98 前1.39
 この数値から見えてくるもの、物語るものは何か。
 1 定数からすればほぼ全員が入学できる。
 2 各校の定数削減が進み、やがて統廃合にいたる。
 3 私立の福知高校は公立の滑り止め?としての任を失う。
 4 入試を前提とした塾は不要になる。或いは入試が勉強する   
   ことの動機付けにならなくなる。 
 5 その他
  
 地域の指標は色々あります。人口規模。財政力。学校数などなど、この指標を読んでいくのが統計学だと思うが、私も役場の企画時代には、指標を読んで色々作文を書き、施策を考えてきました。
 川崎町議時代も議案に潜む指標を基に執行部を質していましたが、おそらくそんな経験は始めてだったんでしょう、中々議論がかみ合わず苦労しました。
 しかし、国や県の行政マンにとってはデーターが基本であり、すべてであるといっても過言ではありません。いわゆる合理的な根拠の基になるのが数値です。
 この田川の高校の競争率が田川の将来を色々示してくれます。早計に言えば危機感いっぱいですが、危機感を前提にして
前向きな対策を早めに講じていく、議論していくことが大切です。
とかく教育行政は成り行き任せです。他市並み行政が関の山です。
田川スタンダード、田川ブランドをどう打ち出せるかリーダーたちの手腕が見ものです。

しかし、高校は県の管轄です。田川住民の思い通りには行きません。しかし、利用するのは田川の住民。高校も大学も田川地域の活力源としてどう位置づけるかは田川の住民が提案していかなければなりません。 
 私は塾の運営も心配ですが、同時に田川全体の教育がどうなっていくのか心配で心配でなりません。
 なぜなら、教育力の低下は地域の活力低下にいづれ通じていくからです。
 具体的には、西田川と東鷹の統合問題が早晩浮上してくるでしょう。寝た子を起こさないが良いか、関係者が中心となって能動的に早めに議論の場を作っていくのがよいか、皆さん考えて見ましょう。
         英光学院塾長 
         前川崎町議会議員
          さくらい英夫

政治放談

tomohiro
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香春の町長選挙はやはり無投票で決まったとの事。
これだけの大きな町で首を傾げるが、確か添田町もこのところ首長選挙は行われていない。それだけに現職の政治力が絶大ということでしょうか。
 さて、全国町村会長に3期も君臨する添田の山本町長ですが確かに並みの町長ではない。私が紹介するまでも無く政界の怪物である。
 香春町長の出陣式で政治家の資質としてこう述べられた。
 1 体力
 2 気力
 3 知力 
 4 郷土愛
 政治家としては普通のことをおっしゃっていますが、言っている人がそれなりの方ですから、改めて納得する。
 テレビで見る小泉さんのいつも元気な姿。政治家は病気になってはいけない。
 一方現職総理で亡くなった、大平さん、小渕さん。すさまじい緊張とストレスの中で活動している政治家は、もう少し尊敬されてもいいのではないでしょうか。
 ことに、筑豊地区の町村議員は不祥事が多く、もう少し文化人の中から候補者が多く出てくることが望まれます。
 誰でもが持ってる被選挙権。しかし、誰でもが行使しない被選挙権。選ぶ側から選ばれる側に是非一人でも多く回っていただきたいものです。
 ただし、選挙はきついですが。 

                前川崎町議会議員
                    さくらい英夫

 現職のみの出馬で、おそらく無投票になったと思われるが、議会議員選挙に続く首長の無投票再選と言う現象は、果たして香春町にとって良いことなのでしょうか。どうでしょう。
 現職町長にとっては、戦わずして勝つのですから無投票に越したことはありませんがね。おめでとうございます。加治先生。
 さて、来賓挨拶の中で国の地方への財源移譲の話が出ておりましたが、補助金を減らして一般財源を増やすとの事。
 国の補助制度に振り回されない、地方主導の企画や財政運営が促進されるとの事。
 実は、この考え方は東京都では20年以上前から取り入れられており、23区で集めた税源を多摩地区と島嶼地区に分配しています。それも補助金でなく、一般財源扱いの交付金です。
 ただし、交付金を当てる事業を一件、一件確認し、事業ごとに
財源計画、実施、確認、事業報告、実績報告を作って行きます。この良い点は、テーマがはっきりしてくること、東京都の予算交付担当と事業を一件一件検証していくことにあります。
とかく税金の無駄遣いが指摘されがちですが、大義名分のしっかりした事業を優先して実施していくことが大切です。
 東京都の振興交付金、調整交付金の制度は他の都道府県の参考になる制度ではないかと思っています。
 福岡県は、県は県、市町村は市町村と言った良く言えば不干渉主義、悪く言えば無関心主義そんな感じがしています。
 国家的財政難?に端を発した地方自治体の合併推進。少ない財源で最大の効果を発揮できる財政運営は、県も含めた職員の資質と地域をつかさどる政治家の資質にかかっていると思います。
          元東京都神津島村企画財政係長
            さくらい英夫

先日後藤寺郵便局で、後藤寺校区活性化協議会のステッカーをくださった PTA関係の女性役員の方、時々わたしの記事を読んでくれているとの事、ありがとうございます。
 さて、田川の春の風物詩と言えば、菜の花でも梅の花でもありません。
 実は、私のやっている剣道なんです。何のこと?
 2月25日26日の両日に渡り、福岡県はもとより近県からも多くの子供たちが田川に集結して腕を競います。その数は引率の父母を含めなんと2000人前後。 この大会は今年で32回目を数える歴史と伝統を誇るのです。田川にこれだけ外部の人を動員できる催しが他にありましょうか。ちょっと思いつきません。
 先般、全日本剣道連盟から、この大会の名誉会長である原口やすとも氏に対して剣道普及功労者として表彰状が贈られました。大変喜ばしく、田川地区の剣道が全国的に見ても活発に行われていることの証でもあります。
 私はこの大会が単なる剣道愛好者の催しにとどまらず、町おこしの一助になれば幸いと思っている。毎年同じように、義務的に消化するのでなく、企画運営に創意工夫し大いに田川をアッピールする機会になればと願うしだいであります。
 私自身、森安修道館の後援会長や指導者の補佐をしながら
このような助言をしてきましたが、その方向に向かっており大変喜ばしく思っています。

 まだこの大会を見たことの無い方は、どうぞこの機会に会場まで足をお運びください。

             
              記
1大会名 第32回保裕旗争奪森安修道館少年剣道大会
2期 日  2月25日-26日
3場 所  田川市総合体育館
       入場無料  

          元森安修道館後援会長
           さくらい英夫  剣道5段

3度目の挑戦、田中真紀子効果、ワイドショー効果でたまたまなってしまった小泉総理大臣。右とも左ともつかぬ小泉ドクトリンで政界をかく乱、攪拌する。保育園児からお年寄りまで、政治に関心の無い全国民層に知名度が浸透している。
 さて、もともと私はご幼少のころから皇太子に容貌が似ていたが、誰もそんなことには注目してくれなかった。しかし、小泉総理の登場で、どこに行っても小泉さんに似ていると言われだした。
幼稚園、学校、年齢が低ければ低いほど屈託無くずばり言ってくる。しかし、小泉さんは決してハンサムではない。彼のポストに関心があるのであって、容姿ではない。翻って英夫の英は韓国読みでヨンと言います。ぺヨン好きの家内に私をヨンと言えばと言えど相手にされない。
 さて、本題に戻す。小泉さんの郵政改革。皇室典範改革。
パンドラの箱をどんどん開けていくが、秋篠宮家のおめでたで、
皇室典範改革に待ったがかかった。
 そこで一句
  かしこくも 皇室典範カイセイに 一矢報いしコウノトリ
  日の本救う ヤマトシナ鳥

日の丸を戦争の血と骨の白 天皇、皇室を首謀者と決め付ける教育を推進してきた勢力はいまや少数派。この思想を公立学校現場から完全に駆逐しなければなりません。
 日本人なら、否郷土に国家に愛着があるのならば、素直に皇室を敬愛しましょう。
 忘れられない一言があります。
天皇って日本一の生活保護者だよね。24.5歳の若手経営者です。なんてこった。これでは、田川が日本がだめになるなと痛感しましたね。
  この機会に、天皇の役割と皇室の存在の意味を改めて見直してみませんか、みなさん。
  
            前川崎町議会議員
            シンガーソングライター    
               さくらい英夫

私の生まれた東京神津島は、島の1/3が天上山と言うシラス台地で天に向かって口をあけたようにそびえています。絶海の孤島で海から直接切り立つ573メートルの大地に降った雨は、数十年かかってシラス石英、長石の台地で漉しだされて伏流水となって沸いてきます。
 この天然のミネラルウォーターで焼酎を作っています。さらに、ウイスキーやワインを仕込んだ廃樽に暫く貯蔵し、こくをつけます。
この樽のせいかと思いますが、なんともいえない絶品の味を堪能できます。
 当然九州までは流通していません。私は、製造している私の先輩の佐藤さんに直接送ってもらっています。
 うそと思う方、試してみようかと言う方是非ご連絡を。
この焼酎を飲んで喉を鍛えれば、誰でも美声になれますよ。
 その産物が私です。....そこまで言ったらうそになる?
 
            シンガーソングライター
          さくらい英夫

2月16日 午後 1時 こばとデイサービスセンター   川崎町
3月 4日 午後6時 沖縄親善大使宮村みつお交流会
                               行橋市
   16日 午後1時 幸陽園             川崎町   
   18日 午後12時 源じい温泉          赤村
 
一般観賞できる演奏会もあります。詳しくは
 
               シンガーソングライター
                    さくらい英夫   まで

 2月4日、音楽家を中心とした有志の方々に呼びかけ、表記の催しを行いました。
 約40名の方々が集い、近所迷惑になるほど賑わいました。
 特別ゲストとして、田川市長の伊藤先生(実は還暦対象者 )
衆議院議員原田先生(昨年還暦)にお越し頂きました。
 御両名とも私が政界で師と仰ぐ先生です。義理人情に厚く、わざわざ私的な小さな催しですが出席してご祝辞を述べて頂きました。 新春の集いではミニにコンサートを行いましたが、還暦を祝うというのが大義名分です。
 私は、東京都神津島から11年前に田川に参りました。
 島では新生児誕生の祝いに始まり、753、成人式、結婚、還暦、喜寿、米寿など人生の節目節目を祝う習慣があります。田川はどうでしょう。余り聞きませんし、呼ばれたこともありません。
 島ではそういうお祝いをやらないところは、軽蔑されます。家々でお祝いをして、無尽のようにお祝いを返していきます。
土地土地で価値観の相違はありますが、血縁、地縁が薄ければ親戚、友人も少なく多くの人が集まって祝ってくれません。
 地域の活性化とは大上段に構えた街づくりなどばかりではなく
結構こんな祝い事も含まれるのではないかと思います。
 都会の若い人は、徒党を組んで飲みまくり、活性化しますね。
 同級生、後輩、恩師、親戚の無い私には実懇といえる40名
を集めるのはたやすいことではありませんでした。
 その意味で、少数ながらも、和気藹々の催しは感動的でした。
 私の歌を作詞してくれた方々も何人か来てくださっており、それらの曲を中心に4-5曲歌わせていただきました。 
 当たり前ですが、死んだら人生終わり、人生の最初で最期のセレモニーが葬式だけだったというのでは、余りにも寂しいではありませんか。
 皆さん大いに大勢でお祝いしましょう。楽しみは大勢で、悲しみは小勢で。

        シンガーソングライター
             さくらい英夫

2月3日節分
 私にとっては今度で2回目の伊田小学校訪問となりました。
 前回は、木製トレイの製作。今回は竹製ジョッキと小鉢、箸作りでした。対象は小学校2年生。時間の関係で、出来上がっている品物を一度分解して、ペーパーかけて仕上げて組み立てて完成というプログラムです。
 感想 1意外と器用です。日本人の特性でしょうか。 
     2子供がとても人なつこいです。...学校はやっぱり楽しいと    
      ころ、集いの場です。
ところで、ボランティアは要請があればタガワ市郡をくまなく回っていますが、伊田小学校の要請が多いようです。
聞くところによれば、伊田小は全身は教育大学付属小学校で、昔から進取の気鋭があるようです。色々やってみよう、させてみようという精神が高いということでしょうか。
 学校によっては打診しても面倒がって断られるところもあるようです。確かに、学校としては余計な気を使う、仕事が増える、そんなことから社会とコンタクトを取りたがりません。学校のことに部外者は立ち入れない、そんな閉鎖者社会を形成していると陰口をたたかれます。 
 どこの学校でもボランティアに伺いますのでどうぞご利用ください。
 木工教室の後はミニ交流会。自分たちが削った竹箸を使って節分にちなんで、大豆の箸つまみ競争です。優勝は15秒で
20個つまんだお母さん。生徒の最高は17個。私は13個。
急げば急ぐほど能率の上がらない競技。平常心が大切とは道
校長の言。何事も構えた瞬間に硬くなる。優勝した二人の方は生まれながらにして、沈着冷静な方。尊敬します。
 交流会の終わり、お別れの挨拶の代わりに、尺八と篠笛を吹きました。竹に穴を開けただけの日本古来の楽器。これを機会に自然の素材に関心を持って下さいとお願いいたしました。
石油製品の中で暮らす現代人。温故知新。昔から何百年とお世話になった自然の素材に感謝し、再活用の方策を共に考え陽ではありませんか。

 
        シンガーソングライター
           さくらい英夫

 83歳の横笛奏者六角彰氏を中心とした尺八、篠笛愛好家が年一回定期コンサートを開催していますが、今年は2月25日土午後1時ごろから直方憩いの家で開催されます。
 入場は無料ですが、会場使用料を負担する関係から気持ち募金となります。
 毎年、六角氏手作りの篠笛が無料にてプレゼントされており、今年も掘り出し物があるかもしれませんよ。
 六角氏がご高齢のためこの先何年も出来ない貴重な催しです。私もギターで友情出演します。 
  尺八、篠笛、びわ、琴、三味線など和楽器に興味ある方はどうぞお誘いあわせてお越しください。
  詳しいお問い合わせは
     シンガーソングライター 
       さくらい英夫 まで

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