櫻井英夫: 2006年3月アーカイブ

 600万の工事費で井上陽水公園が糸田に完成したとか。
田川に色々公園がありますが、かの有名な井上陽水の名前を冠した公園は稀少価値があると思います。これをただ名義借りに終わらせるのでなく、陽水顕彰の場所にしたら良いと思います。
陽水さんの良いところは、テレビきらいで知られているように、単なる芸人でなく楽曲にしっかりした芸術性を持っていて、社会や流行に媚びないところにあります。社会風刺でも、ラブソングでもそこにちゃんとメッセイジがあり、物語があります。私が楽曲を作るにも参考にしている点です。
 陽水ファンとしてはいずれ彼を頂いて、田川に一肌脱いでもらうよう働きかけしたいと思っています。糸田の黒土さん、是非ご協力ください。
 さて、 新曲が今朝出来ました。夢の中で歌っていましたから、世に出して良いというサインだと思います。
 私の曲は、不思議なことに夢の中で完成していきます。
 
寒椿
 1 雪の重みに耐えて咲く
   紅色香る凍中花
   寒さ緩めば涙雨
   八重の花びら散らすのか
   冬を彩る寒椿
 2 つぼみ一輪茜さす
   やがて花咲く日も近い
   今日を紡いで明日を織る
   そっと触れたい夢の枝
   春へ旅たつ寒椿
 3 阿蘇風そよぎ空渡り
   天与の恵みと仰ぎ見る
   二人後越えた田原坂
   どんな苦労があろうとも
   今を生き抜く寒椿   
 原作は田川市新町の平井信義さん。氏は5−6曲自分で歌を作っています。彼の曲を2曲ほど編曲して私も歌っています。
 大変な苦労人ですが、会社を経営され何人も従業員を雇用され、地域に貢献しています。歌作りは趣味の世界ですが、中々のものです。
 この詞は阿蘇を旅行した時に、旅館の仲居さんの打ち明け話に感動して出来たそうで、仲居さんはもともと大きなホテルのお上だったようですが、倒産して借金背負い仲居になったとか。事業を大きくすると倒れた時の痛手も大きく、そんな仲居さんを励ます意味で歌詞を書いたとのこと。
 歌詞をもらってから、かの姉歯元設計士の妻が飛び降り自殺したニュースを聴きました。坊主に憎けりゃ袈裟まで憎いといわれますが、家族の心情を思うとき複雑な思いに駆られます。
 奥さんが命を以って償いとしたならば、この社会の病理は何とかならないものかと無常を嘆くことしか出来ません。私流では歌って紛らすことでしょうか。
 試聴ご希望の方はご連絡ください。意外なことにメジャーコード進行で作っています。

 
               シンガーソングライター
                   さくらい英夫

 荒川東洋子画伯をご存知でしょうか。ある時は、田川市大黒町の老舗喫茶のママ。ある時は、荒川絵画教室の主宰。 
 このほど田川美術館で荒川画伯と門下生による展覧会が開催された。第9回を数えるティ・ウィード展がそれだ。
 ほんの付き合いのつもりで初めて観賞に出かけたが、作品から訴えかけてくる気迫のようなものを感じ、とても感動した。荒川画伯によれば、何十の手習い、美大を出たわけでもなんでもないと謙遜しておりましたが、プロ、アマの垣根を越えて逆にアマチュアの執念みたいなものが感じられて恐れ入りました。
 私自身、プロアマの中間的音楽活動をしておりますが、歌を披露する時は常に魂を込めて歌います。聞き手を感動させられない時は歌い手の負けです。自分で勝手に勝負をしています。
 頼みもしませんでしたが、熱心に解説してくれた千田女史の情熱からも作品を画いた画家たちの意気込みが感じられました。
 来年の10回は、よりメモリアルな展覧会になるに相違ないと思った。
  
         シンガーソングライター
           さくらい英夫

きょうの報道番組で某小学校教師が書いた教育評論本「教育は親力だ」が売れているらしいと聞いた。著者本人や文部科学大臣までが出演し親と子の役割、かかわりについて議論していたが、余りにも幼稚でばかばかしくなった。著者本人は極めて真剣だったが、評論家諸氏は半ば冷ややかに茶化していて、何でこんなことを取り上げるのかといった風が感じられた。
 教育の現場にいる私としては、まさに親を含めた教育、家庭との協力体制を構築することに腐心しているのだが、著者も現役小学校教師として現場にいる身である。書いたモン勝ち、売れたモン勝ちそんな類の話題本であろう。それが漫画で表現されているのだからしら真剣論評するものでもあるまいが。
 何を言いたいか。マンガ本として何を目指したか、大儀は何だったかということである。現代の親は活字を読もうとしない。漫画なら読む。まさに迎合主義で受けを狙った感さえアル。その根拠は、たった10分程度の議論だったが透けて見えた。小学校6年の男の子がいまだに母親のひざに乗って甘えてくる話で、著者は本人が気が付いてやめるまでほっておくと答えた。まさに教育、しつけの放棄ではないか。そんな思想、価値観がまかり通り、大勢を占めていく社会だから、ニート、引きこもりという昔なら考えられなかった人間社会の病理が発生してくるのだ。
 絶海の孤島神津島で生まれ育った私は、素っ裸で山野や海原を駆け回り、幼少の頃の島は本土との連絡船は月3回程しか通わず、当然新聞は読まない、テレビも映らない。
 そんな野蛮で育った少年でも、当時東大合格者数では日本一の戸山高校に進学し、受験優先の高校生生活を送るライバルをよそ目に野球部に入りレギュラーにもなれた。
 島の役場に入り、島の福祉センターでは結婚式の司会進行かたや帝国ホテルでは知人の結婚式で挨拶し、歌を歌ってきた。
 思えば高校一年の秋親父は他界、ぐれる理由はいくらでもあったが、現にこうして田川に来てまでも塾を開設し、いくばかりか人様に貢献しようとしている。
 そのような時、教育は親力だといってマンガ本を出して印税を手にしようとする根性には極めて胡散臭さを感じずにはいられない。
 半分漫画がヒットしていることへのやっかみだか、半分は警鐘である。バブル、オウム、ホリエモン、IT、物事の、論評の一面を見て鵜呑みにするとまた失敗する。 ポピュリズムに流されないようにしましょう。
 どうやって社会に適応しながら逞しく生きていくか、これこそが生きる力。理屈で生きていく人には、世間の雑音の入らない、絶海の孤島で10年くらい自力で自給自足して生活することをお勧めしたいし、そんな修行のような生活を達成できたら文句無く弟子入りしたいね。
  
               教育評論家
               英光学院塾長
                 さくらい英夫

 合併した福智町の旧金田人見にお住まいの竹崎さんは御歳88歳の米寿を迎えましたが、だだの高齢者ではありません。85歳から歌詞を書き始め、私が曲をつけて、自分でCDを編集してアルバムを作ってしましました。全国広しといえどもこんなスーパー翁はちょっといないのではないかと思います。
  ご参考までに曲をご紹介します
 1 蓑島の君はひまわり
 2 青春のバラの頼り
 3 思い出の白百合 
 4 ふるさと福智山音頭
 5 田川燦燦と
 6 人生色々喜寿米寿
 7 尺八で聞く冬のソナタ
 8 三坊峡の鈴蘭
 9 同窓会
10 怨恨38度線
11 花園に花より美しい君がいた
 1−6までは主に私がメロディをつけました。7-11は詞のみですが、88歳の方の物とは到底想像が付きません
 興味のある方は、ご連絡ください。
   
           シンガーソングライター
               さくらい英夫

今日の新聞にも書かれていましたが、田川市立病院前の星美台団地開発の問題点で、地下の坑道埋め戻しに1億円以上かかるとの事。鉱害復旧には田川の自治体も慣れているとはいえ、
やはりこの土地に最初から瑕疵があることを知りつつも開発分譲したところに問題があるような気がします。
 伊藤市政以前の問題ですが、現市長はこの財政難の最中、大きな課題処理を背負わされる格好となった。
 川崎町の6億5千万円の三井鉱山からのリベートは長年裏金経理され、読売新聞のスクープ記事で露見してはじめて町会計に繰り入れられた。繰り入れする債主が誰になったのかは知る由もありませんが、いずれにしても全国に恥をさらし、信用をなくした事だけが成果として残ったのです。
 マンションの耐震偽装が問題になっていますが、物件を信頼して購入した方々は関係者の倫理観、モラルを嘆くしか仕方がない状況です。しかし、田川の星美台については田川市が責任を持って復旧するとしており、さすがに補償問題に対して対応の速い地域である感心する。
 三井鉱山からの還流金は田川市でもあったと聞いているが、少なくとも裏金にはなっていないようで、この処理の仕方も川崎と田川では異なる。この差はどこから生じるのか。やはり、市政、町政を揺るがす大きなテーマに関しては、首長自らが責任を持って決断する姿勢がもとめられる。
 西日本新聞は硫化水素の処理を怠った市の責任や今回の星美台の宅地陥没に関する見舞金の支出が不当と論評しているが、どうも政治がらみの感が否めない。
 ジャーナリズムが時の権力に対峙し、独善暴走を許さない世論を喚起してゆく役割は十分認識しているが、特定の勢力や特定の思想におもね、記者の先入観だけで記事を書くのはやめてもらいたいものです。
 国会では偽メール、ガセネタで何億という無駄な税金が浪費されているが、そんな輩は国会周辺にだけいるのではない。私自身にも何人もアプローチして来たことがあるし、議員経験者なら少なからず経験していることである。
 そのことは、第三者からのネタ提供で記事を書いていく記者にも言えることではないでしようか。
 議員も記者もネタの確証は当然持ってないと、人の話を鵜呑みにすると取り返しの付かないことになることを知っておくべきです。さらに、ミスったら早急に対応することが大切ですね。
 偽メールはこのことを教訓として示していますが、これほど税金を使わんでもと思いますがね。

         前川崎町議会
         議会だより編集委員会委員長
           さくらい英夫

 ふるさと田川賛歌は、読売新聞で紹介されてからCDも100枚ほど出て行きましたが、まずまずの支持を受けています。
先日は、源じいの森コンサートで発表会を行いましたが、大変好評でした。
 会場には作詞者の宇都宮さん、歌詞カードを作ってくれた竹崎さんらが駆けつけてくれて、宇都宮さんから挨拶を頂くなどちょっとした感動のセレモニーもできました。
 この歌は、ご当地ソングとして後藤寺小学校で放送されたようですが、昨日は後藤寺中学校で流してくれたとの事です。
 田川燦燦とは田川の栄枯盛衰と未来への希望を大人たちに、
ふるさと田川賛歌はやがて巣立っていく子供たちに向けたメッセイジソングとして歌っています。
 とにかく何かやって田川を盛り上げたい一心で曲を作っています。冗談では今年の紅白にと意気込んでいますが、本当は町おこしソングとして、田川に波紋が広がっていけばそれでよいのです。決して芸能活動を目指しているのではありません。
 沖縄音楽がそうだと思います。
 私と同じようなスタンスに立ち、初めて陽の目を見た夏川りみチャン。芸能界に憧れ、アイドルデビューしても売れなかった彼女がいまや沖縄の歌姫としての地位を確立しました。夢も希望も無くした、歌唱力抜群の彼女がどん底から這い上がってきた。
 涙そうそうの歌。私は冗談で時期尚早(音が似ているでしょ)
って言っていますが、彼女には売れるタイミングが必然としてあったのでしょう。
 田川が復活する必然を作っていきましょう。私はこの運動を是非続けて生きたいと思っています。そんな情熱しかとりえがありません。余談ですが、いづれ全国放浪の歌行脚に出るつもりです。
各地で田川の歌、神津の歌を歌って昔のフォークゲリラのように全国制覇していくつもりです。
 ふるさと田川、ふるさと神津島のため、自分のために。 
   
       シンガーソングライター 
        さくらい英夫

九州の雄、わが県福岡。
福岡は4つの圏域に別れている
 1 福岡地区
 2 北九州地区
 3 筑豊地区
 4 筑後地区
この中で海を持たないのが筑豊。産業の大切な柱の漁業を欠いている。
福岡空港、北九州空港、九州新幹線、高速道路、筑豊を除く3地区にはそれぞれ整備されている。これらのインフラはあたかも筑豊を避けるように整備されている。
 福岡地区 このほど完成した国立博物館。目の前に迫ってい   
        るオリンピック誘致。空港の異説問題。数々のビッ  
        グプロジェクトを推進している。
 北九州地区 北九州空港開設。ハブ空港として特色を出そう  
         としている。小倉の再開発も福岡に負けじと進ん 
         でいるように思う。
 筑後地区 九州新幹線、高速道路の交通基盤を核に、南 
        九州の中継地として存在感を示している。
         ビッグプロジェクトについては聞かれないが、久留  
         米を中心とした政治力の結集が進んでいる最中  
         です。
 筑豊地区  平成の合併でようやく昔の殻から抜け出す機運
        が生まれようとしている。
         どうしてもノスタルジックな過去を引きずる面がぬ
        ぐいきれない。
         温故創新は伊藤田川市長の座右銘だが、これ
        を市民運動、地域運動につなげたい。
         ここにビッグプロジェクトを明記できないのが残 
        念。
         そこで提案、 
          食料備蓄基地の建設
          県庁移転 
          国立国際支援センター建設
         など、県、国のプロジェクトを提案、誘致する。
 色々な講演会、新聞、政治家の公約でも余り聞かないテーマであろう。荒唐無稽な話ではないのにどうして話題にすら上らないのだろうか。
 先般、田川市が開催したシンポジュウムでも私は会場から食料備蓄基地の提案はさせていただいた。
 九州国立博物館の建設には聞くところによると、岡倉天心が
提案してから100年後に実現したとか。現代筑豊田川に生きるわれわれは何を提案すればよいのか。今後、筑豊田川は100年も1000年も続くのです。何もしないでも時は過ぎ行く。
 今から何を提案し、行動を起こしていくのか考え、そして発表していきたいものです。     
 少なくとも田川住民がやらなければならないのは、県内各地区との連携、競争です。指をくわえていては、遅れをとるばかり。
その旗振りは政治がするのです。果たしてと今そんな政治が行われているだろうか。

              元代議士秘書
              前川崎町議会議員
              地域リーダー養成塾2期生
                櫻井英夫

教え子が゛自分を超える、こんな嬉しいことはありません。教え子と言わせてもらうだけでもうれしい医学部合格。
 さわやかさやかさん。塾を卒熟してからも、弟、妹の通う英光学院に思いを寄せてくれて、合格の知らせも自分から電話して来てくれた。王ジャパンの世界一もなんとなくうれしかったが、さやかさんの医学部合格は、私自身がなし得なかった医学部合格を達成してくれた感が強く、ことのほかうれしい。
 彼女はごく普通の勉強好きの女の子。地元の公立中学、嘉穂高校理数科、そして長崎大学医学部進学。エリートコースを歩むためには、私立中学、有名進学校か゛常識なのに、そんな人任せコースを歩まずに、自分で自分の道を作っていった。
 英光学院時代は完璧な模範生。自分から何をしたい、かにをしたいと積極的でした。医者になりたいというのもはっきりしていました。 彼女は私からすれば、王ジャパンの女イチローのように逞しく悟りきった人材にさえ思えてくる。
 なによりも地元を通してくれた彼女の心意気がなんともうれしいね。 
 これから長い長い医学の道、勉強三昧だっただろう高校生活、生涯勉強勉強でしょうが、医学生にとってはごく短い青春時代を少しは楽しんでもらいたい。
 数ある進路の中から、良くぞ医学の道を選択してくれました。
その点にも感謝したいと思います。 
  ありがとう、おめでとう、さわやかさやかさん。

          英光学院
           塾長 櫻井英夫

 3/8日( 土 )はあいにくの雨になってしまいましたが、コンサートは温泉施設大広間ステージのため予定どおり開催できました。私のコンサートが目当てのお客様が約30名、温泉客が50名、関係者が20名と総勢約100名の方が私のオンステージを観賞してくださいました。
 当日は7曲歌うよう準備しておりましたが、最後はアンコールまで頂き、8曲を心を込めて歌いました。
 さすがに最後のあたりは声もかすれてしまいましたが、まーまーだったとお褒めのお言葉をいただきました。
  1 いつかまほろば
     この曲はCDデビューのタイトル曲で、自分ながらか名曲    
    だと思っています。夏川りみさんが歌えばある程度ヒット曲    
    になれるメロディだと思います。
    タイトルはヤマトタケルノミコトの時世の古事記で紹介され   
    ている和歌、大和は国のまほろば.....から引用しており、か  
    かなり格調高いものです。
  2 田川燦燦と
     田川の栄枯盛衰を歌にしたもので、前節に炭坑節のメ  
    ロディを拝借しています。
  3 神津の荒海晩歌
     当初は島の歌は歌わないつもりでしたが、このコンサート 
    をめがけて私の従妹が来福するとの事で、その子のために  
    歌うことにしました。その子も私も早くに両親を亡くし、良く 
    ぞここまで生きてきたっていう感じでしょうか。
     片親亡くして半人前、両親なくして1人前。私たち従妹 
    は若年で一人前にさせていただきました。
  4 神津エレジー
     やはり島から来た従妹のために、島の民謡の文句を一
    部入れたこの歌を歌いました。 
  5 筑豊の花
     丸山さんが私にメロディを呼び起こす良いテーマと詞をく  
    れました。母子家庭になってしまった女、母の気持ちを詞  
    にしています。サックスの久保さんのお陰で、音にも圧みが 
    出て、どこに出しても通用する曲だと思っています。
     38歳で未亡人となった私の母の歌でもあります。
  6 ヒトツバタゴの花
     対馬に咲く白い花、もともと朝鮮半島の花です。日本で  
    はヒトツバタゴトといえば上対馬です。今は亡き武末望
    君を偲んで作った楽曲です。ご両親に悲しみを乗り越え 
    て、人生を歩んでほしいとの思いで作り、歌っています。
  7 ふるさと田川賛歌
     今一番新しい歌で、今日のメイン曲でした。田川に夢と 
    希望を。後藤寺商店街でお魚屋をやっている宇都宮さん 
    の作詞で、13年前に広告紙の裏に書いてあったものをい
    いだき曲をつけました。読売新聞で大きく取り上げられ、 
    私がマスコミからシンガーソングライターとして認められた作  
    品となりました。それもこれも、宇都宮さんの美貌の賜物
    です。新聞より実物はもっと美しいのでどうぞお魚買うつい    
    でにお顔を見て行ってください。必ず納得していただけます 
    よ。残念だったのは、声がかすれてしまって60点の出来だ 
    ったことです。その分は久保美枝子さんにバックコーラスで
    手伝って頂きなんとか事なきを得ました。
 8 東京の島遥か
    アンコールにお応えし、もう1曲。
    やはり神津島から来ている従妹にちなんでこの曲を歌わせ  
   ていただきました。約40分歌いっぱなし。お客様も飽きずに 
   良く辛抱してくださいました。
    
 もって行ったCD20枚や竹崎昇造さん88歳の力作、歌詞入り絵葉書も沢山買ってくれました。ファンとしての義理もありましょうが、合格点が付いたコンサートの証だったかとも思っています。
 皆さんのところにもボランティアで出かけていきますので、どうぞさくらい英夫の歌の真偽の程を実際にお確かめ下さい。
  
     シンガーソングライター 
       さくらい英夫
     090−2969−4655

 飯塚の鯰田に不登校の生徒を預かるオアシス広場があります。今日は旅立ち式=卒業式にゲストで行ってきました。
 3人の卒業生を送るために、仮に在校生10名、指導ボランティア父兄合わせて40名が参加しました。まるで、僻地の分校の卒業式のようでドラマチックでした。 
 このような支援センターは、居心地がよければよいほど学校に復帰できなくなり、指導加減が難しいと思います。
 勉強を教える先生方はすべて手弁当です。公的な援助はありません。本当の慈善事業です。
 今日の半日のイベントを通じて、子供たちは自分たちが多くの方々から愛され、大切にされていることを実感できたのではないでしょうか。
  今日の出前公演は 
    尺八 久保誠三郎 涙だそうそう  武田の子守唄
    サックス 久保 正  上を向いて歩こう
    弾き語り さくらい英夫 筑豊の花 田川燦燦と
 の5曲を披露させていただきました。
 もちろん公演料も交通費もありません。感謝され褒められたのが最大の報酬です。
 私は議員現職時代は幼稚園、小学校、中学校の卒業式に何度も出席してきましたが、今日の卒業式も思い出の卒業式になりました。
  
             シンガーソングライター  
                さくらい英夫

恐るべし新聞力

tomohiro
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ふるさと田川賛歌のCDシングル発表の記事が出て以来100枚近いCDがすでに出て行きました。
いつかまほろばアルバム発表の時は義理売買が出発でしたから、それに比べればなんと順調に推移していることか。新聞の宣伝効果はとても大きいです。 先々、田川をテーマにしたオリジナル曲ばかりを集めてアルバムを世に出したいと思います。それから、第2の地元シンガーソングライター、高校生でも 誰でも出てこないかなぁと期待しています。 所詮私は素人に毛の生えたようなもので、この先の活動期限も知れています。40年前にフォークブームが起こったように、田川から尺八ブームとシンガーソングライターブームが起こせないものでしょうか。 名実ともにミュージックセンターキムラさんが火付け役になってくれないかなぁと内心期待しているところです。 なんかかんかやって田川は脚光を浴びていくべきです。 読売新聞さん穏当にありがとうございました。
          シンガーソングライター
             さくらい英夫

 このCDが読売新聞で紹介されたことと、作詞をしてくれた後藤寺商店街宇都宮鮮魚店おかみ宇都宮睦子さんのご尽力と、値段200円の安さが効を奏し、わずか一週間で50枚のCD売り上げを達成することができました。
 いくら売っても利益は出ないのですが、みず知らずの人に聴いていてもらえて、まーまーだねと評価でもしてもらえればそれだけで最高です。
 この勢いが続けば、今年の年末は紅白出場です。そんなことは無いでしょうが....。


      シンガーソングライター
         さくらい英夫

あれから1年がたとうとしています。
あれとは福岡県民にとっては福岡大地震のことであり、田川郡市民にとってはザ尺八2005のことである。
田川文化センター超満員の来場者。久保誠三郎氏の尺八プロデビュー記念コンサート。盛会裏のうちに終了し、テレビニュースを見て驚いた。限界島が全滅に近いような被害。田川ではそんなこととは露知らず、良くぞ無事にコンサートが出来たものだ。
もうじき3月20日がやって来る。
 3月18日にはささやかなコンサートを源じい温泉で開催する。
こんどばかりは読売新聞が事前にイベント紹介記事を書いてくれた。ようやく、マスコミからも認めてもらえたのかと感慨深いものがある。考えてみれば、久保氏と私で1年間に約2千人の観客動員を誇る音楽会を催したことになる。
 観客の動員は本当に困難を要する。入場料を頂くとなるとなおさらのことである。到底2、3人でなせる業ではない。
 多くの関係者、協力者のお陰によるもので、感謝の気持ちでいっぱいです。
 3月20日。9月11日はそんな感謝デーになりました。
あわせて地震災害のお見舞いと限界島の完全復旧をご祈念申し上げます。 

           シンガーソングライター 
             さくらい英夫

3/8付け読売新聞の記事紹介により、ふるさと田川賛歌シングルCDがボツボツ出て行っています。宇都宮さん曰く、田川の子供たちにこのメロディを通じて田川の名所を再認識いただければ、と私も思います。
 自分のふるさとの自慢は何ですかと聞かれたときに、知りません、ありませんでなく、OOです、と頭にひらめくようになれば幸いとおもっています。
 今後この歌を披露していく予定は
   3/16 幸陽園       川崎町
     17 オアシス広場    飯塚市
     18 源じい温泉     赤村
   4/ 1 貴寿苑       糸田町
     16 減じい温泉     赤村
                        3/10日時点
 一度聞いてみたいと思ってる方はお問い合わせください。
CDもシングル200円 アルバム1000円でお分けしております。
 また、皆さんのところにも要請があれば出前公演しています。どんな機会にでもお呼びください。

              シンガーソングライター
                  さくらい英夫

今日の読売朝刊。筑豊版1/4の紙面を割いて「ふるさと田川賛歌」をご紹介いただきました。
数あるご当地ソングの中から、最新曲にスポットを当てていただき感激しました。
実は、西日本新聞のご当地ソング企画にも自薦、他薦していただきましたが、完璧に無視されてしまいました。この手の話題記事は、事件と違って書く書かないは記者しだい。記者に縁故があるかないかにかかっています。もちろん記事としての値打ちが無ければなりません。価値の無いものはデスクにカットされてしまいます。 
商店街の宇都宮さんの縁故とご尽力で、今回はご披露することが出来て大変光栄に思っています。
 ところで、このごろ小柳ルミ子が前夫のおおすみ氏と離婚する時死んでしまいたかったそうで、自殺まで考えたそうな。そのとき思いとどまらせてくれたのが数々のヒット曲だといっていました。それらのヒット曲は自分の子供、分身だと表現していましたが、私も自分が作った曲はそんな思いでおります。
 宇都宮さんから12年前に広告の裏紙に書かれた「ふるさと田川賛歌」の原詞を見せていただいた時、まず感動したのはほんとに大切に今までよく持っていたなぁと言うことでした。
 彼女も自分の書いた詞が、いとおしくて捨てられずにずーと持っていたのではないかと思いました。
 短い文章、メロディにもそれぞれ色々な思いがあるのです。
 良かったら今日の読売新聞覧ください。
          シンガーソングライター
            さくらい英夫

 新田川創生プランの報告会的シンポジウムが3/4日県立大学講堂で開催され、拝聴してきました。
 伊藤市長が市長職に挑戦しているころは、私もパネラーとして同様のシンポジウムに出させていただいたことが一度だけありますが、市長になりますと立場上市長の個人的な人選は不可能となるようで、今回は一聴衆として聞く立場で参加しました。
 ところが、驚いたことにパネラーとしてパンフレットに載っていた西日本新聞筑豊支局長氏が突然の急用ということで公式行事を直前キャンセル。何か特別な事件事故でもあって取材対応でそうなったのかなぁとその時は思いましたが、原因は他にあったらしいと聞きがっかりしました。
 そんなハプニングはさておき、伊藤市政のやる気が盛り込まれたプランをまずは評価したいと思います。
 有言実行、やってやってやりまくる。やる前から、ひるんではダメです。石橋をたたいても渡らない首長もおりますが、住民としては是非批判覚悟でやってもらいたい。死に物狂いの選挙で洗礼を受けて当選、何もやらないでその職に安住する首長もおります。
 田川には、はっきり言って名誉職の首長や利権の番人のような首長は不要です。
たとえば小泉首相が支持されているのは、彼の恐れず、ひるまず、迷わずの精神です。ワンマン、変人と揶揄されながらも私は戦後ナンバー1の総理に違い無いと思っています。
 伊東市長にも良い意味の頑固さがあり、これは田川市にとってはプラス要素です。伊藤市長には田川の中心としてリードし続けてい欲しいと思います。他の町村が感化、薫陶を受けることを願っています。
                  前川崎町議会議員
                    さくらい英夫

毎月第1日曜日、午前6時から、糒の宝光寺で座禅をしています。座禅の後は、般若心経を唱え、おかゆを食べ、ご住職の大島龍絃方丈の講和を聞き、のち意見交換をし、9時に終了します。
急用がある場合は、座禅だけで帰る方もいますが、座禅の修養は食事の作法までが一貫したものです。
 座禅は只管打座といってだだ黙って座ることですが、40分間何も考えずじっと座っていることは、動くことが本能である動物には、結構難儀なことです。まして、邪念多き時は色々な思いが去来し、その思いを追い続けてしまいます。
 40分の座禅が終わると、作法にのっとった食事です。これも只食べる。和気藹々の食事ではない。ましてや味わうものでもない。生命の維持に必要な養分を摂取するだけの食事。他者の命を慎んでいただく。動物性のものは一切無しです。
すべての人間が、本能に逆らい無欲となり、慎み深く生活すれば争いごとは起きないでしょう。しかし、人間生活は理屈どおりには来ません。ありがたい宗教を原因とする戦争が、争いごとが何度も発生しているのが現実です。
 宗教間の対立の方が激しいといっても過言ではありません。
座禅は、仏教から発生していますが、宗教を超えて只座る。そこに行き着いたのではないかと思います。どうにもならない時の解決策、精神の拠り所としての人間の知恵が座禅ではないかと思います。無心の心。理屈では説明できないものがある。それが宗教なのかも知れませんが、.......。
 私は到底無心に、悟りに到達することは出来ませんので教養禅、たしなみ禅としてできるだけ続けていこうと思います。
 興味のある方、心に悩みのある方は参加してみませんか。
参加費は食事のお布施が毎回500円です。
 ちなみに、禅寺では全国一斉にこの座禅会が行われているとの事です。
   
      お問い合わせは
         剣禅一如の 櫻井英夫
          090-2969-4655まで

 後藤寺バスターミナル前の個別指導塾の正面入り口横にテナント募集の張り紙が張ってあり、塾の撤退を直感しました。
 11年前私が塾経営にかかわりだしてから、ペガサス、九大トライ、東進、明光など大手の塾が後藤寺から撤退していきました。
 何とか残ってるのは個人の小さな塾です。塾なんか飲み屋みたいなもので、開設資格は要りませんから腕に覚えさえあれば誰でも開設できます。完全自由競争の世界です。しかし、一応教育の世界ですから、開設の理念がないとただ金を得ようとする根性だけでは結局支持されません。また、開設の理念とか難しいことを言わなくても、すなわち地域に受け入れられる何かを持っていないとやがて消滅する運命を辿ると言うことです。
 大手塾は固定経費の割合が個人に比べて圧倒的に高い。外観、内装、装備すべき機材が都会での必須レベル同様田舎でも要求されて、生徒が減って需給のバランスが保てなくなるとそれで経営はお終いとなる訳です。
 それもこれも根っこは、おそらく少子化による市場の縮小と所得の減少です。昔は、NTT、三井タイルや鉱山に勤めるお子さんも預かりましたから企業の撤退で塾通いの生徒も減少しました。
 春風が吹けば桶屋が儲かる。政治がしっかりすれば産業が育つ。私は、この信念の下に政治と教育を追求しています。
 皮肉なことに生徒に知恵をつければつけるほど、田川を敬遠して去っていきます。公立中学より私立中学。田川より嘉穂、鞍手、小倉と。このジレンマと葛藤しながら田川の振興を、田川の子供たちの学力水準向上に取り組まなければなりません。
 公教育は財源が税金ですから親方日の丸です。一方塾は明日は知れない風任せです。

 英光学院がどうすれば後藤寺で1年でも存続できるか、是非皆様のお知恵をお貸しください。
   
       今年の春期講習は
         3月27日から30日の日程で
         1教科5コマを無料サービスで実施します。
         無料の部分だけでも参加OKです

               個別指導英光学院
                塾長 櫻井英夫

 私もあの時国会中継を見ていましたが、こんな若い議員が内閣が吹っ飛ぶようなネタを良く手に入れたなぁと不思議に思いました。実はタレコミ情報は、市町村議員にも送られてきます。そのことを追求しろと言うことなんですが、多くの場合匿名で、執行部に確かめろ的な話なんですね。情報源が匿名で、裏が取れないものは質問できません。中にはお構いなく質問する議員もいますが、田舎の議会はなーなーで、マスコミから注目されるほどの大ニュースでもないので、大体議会が終われば言い放しで、うやむやです。
 しかし、国会で町議会レベルのガセネタ質問が行われるとは本当に驚きました。
 団塊ジュニアが幅を利かせる世の中になって、団塊世代はいわば左翼の申し子。権力に歯向かう反政府活動を一生懸命やった世代です。その子供が今30才台で、口が達者で、上も下も無い、理屈で来る人たちです。勿論掘りエモンや永田議員のような人ばかりではありませんが、まーその世代を代表する人物像ではないかと思います。
 おそらく、まだまだ世間をお騒がせするやからが登場するのではないでしょうか。ヒューザーの小島氏は団塊世代ではないのですが、成金饅頭のような人で、あのようなタイプは世代を問わず出てきます。下品な生き方をする人、チンピラに近いですね。伊藤元国土庁長官も、しゃべり方はソフトでも小島さんと同じ体質を感じますね。
 町会議員に多いタイプですよ。
さて、 偽メールは、国会だけではないというのが私の見解です。

             前川崎町議会議員
               櫻井英夫

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